逃げられるものからは逃げていいことにした

コンビニで苦手な店員さんがいた。

散歩の帰りに立ち寄ってお茶を買う。

もっと肉のつくもの食べた方がいいのに。

私の肉を分けてあげたい。

これ、美味しんですか。

レジでのほんの短い一言だが、それが苦手だ。

痩せている自分がお茶やゼリーばかり買ってかえるのでもっと脂肪分のある濃厚なものを口にせよと言う。

遺伝性の病気で私は動物性の脂肪を控えるように言われている。

それを知ったのは思春期を過ぎた頃だった。そしてそれを厳しく制限するあまり、食事が不便になった。

私の痩せた体には、深い闇の歴史が隠れている。

モデルさんのような美しい肉体でもなく、ただ貧相な体つきなんだから、もっと栄養のあるもの食べて元気にならないと。

おそらく彼女の意図はそういったことなんだろうと察し、「えへへへ」と笑って誤魔化す。

この敗北感はなんだろう。ちょっと惨めな気持ち。

そしていつも「今度こそ、上手にユーモアで返すんだ。」と誓う。

私を傷つけようとしているのではないのに、勝手に傷つくのは私が自分に自信がないから。

私がもっとパンと自分を張っていれば、何を言われようと笑って返せる。

だからこのコンビニのやや年下と見える女性店員は自分の心のトレーナーのような役割だった。

しんどいのに、行く。行って、鍛える。また、沈む。それでも今度こそ、今度こそと自分を鼓舞して通う。

その日もまた寄ろうとしていた。

嫌だなあ。店のガラス張りの入り口から店内を覗く。今のシフトは彼女だろうか。

若い男性がレジに立っていた。よかった。安心して入ろうとするところに奥から彼女の姿が見えた。

一瞬、足が止まる。

その日はそのまま店には入らず帰宅した。

歩く道すがら考える。

何か変だ。

生きていれば、逃げたくても逃げられない辛いことはたくさんあるのに、なんでわざわざこんなところでまで私は修行を積んでいるんだ。

 

強くなりたい。そのために嫌なことに慣れっこになろう。なんでも笑っていられる大きな心を持とう。

そうやって常に自分を鍛えていないと何かが崩れてしまうような不安があった。

しかし、いつもいつも心に鞭を当てていたら、強くなるより捻くれてしまう。

やっぱり私はダメな奴と、いじける癖がつくだけじゃないか。

数年間、意味のない筋トレをしていたのかもしれない。

それっきりその店に行くことはほとんど無くなった。

その店の前を通る時、ああ、もういいんだ、ここ、寄らなくてと思う。

我ながら、馬鹿。