友人から赤いカットソーが届いた。

例年、友人数人にお中元とお歳暮を送る。生きるか死ぬかを体験した時、本当に支えになった人達に会いに行く体力もなかったので、お礼の気持ちで始めた。

自分の方で勝手に繋がっていたいと思っている人達に勝手に送っている。

彼女のところは息子が幼稚園に上がる前からの付き合いで、幼稚園の頃はほぼ毎日どちらかの家で子供たちが遊び、片方はそれを預かり家事をして、片方は夕方迎えにきてお茶をした。

小学校に上がるとサッカークラブで卒業まで一緒に過ごした。

私は毎年、息子の同級生である兄と、その妹の二人が好きなお菓子を送る。毎年同じ鳩サブレ。

それに対し彼女は、ルームウェアだったり、カバンだったり、服や雑貨をくれるようになった。

よく、街中で見かけるがどこで売ってるんだろう。私の行動範囲にはない、今っぽくておしゃれなものを、娘のいる彼女はセンスよく選んでくれる。

高価すぎず、生活の中で明日からでも着られるようなそんな服。ちょっとだけ流行を取り入れたデザイン。

それが昨日届いた。

弾む気持ちでダンボールのテープを開ける。夫からのプレゼントよりずっとずっとワクワクする。

今回はなんだろう。

中には大きな白い巾着があり、太いクリーム色のリボンで口が縛られている。

結び目を解き、口を広げる。夏用の肩紐のついた大きなカゴと、赤い袖の膨らんだカットソーが出てきた。

その真っ赤な色に衝撃を受ける。

こ、これは・・私の着てはいけない色だ。

とりあえず、好みどんぴしゃのカゴを肩から下げてみる。紐が長くバッテン掛けもできる。いい。すごく、いい。

そして恐る恐る、赤い方を取り出し顔に当てて鏡の前に立ってみた。

運動会の紅白帽のあの赤が眩しい。

見たこともない自分がいる。明らかに顔が負けている。

そっと畳んで洗面所のカゴに入れた。

部屋着にしよう。

彼女にお礼のラインを送る。

「私のセンスでごめんね。トンちゃんのイメージでピッタリだと思ったんだ」

彼女にとっての私はこの赤なのか。意外だった。

自分では自分のことをくすんだベージュやモスグリーンだと、また周りもそんな印象だろうと捉えていた。

こんな元気いっぱいの溌剌としたのが彼女にとっての私なのか。

それが私の本質なのか、無理をして背伸びをしていた頃の誤ったイメージなのかわからない。

今朝、それを着てラジオ体操に行ってみた。

どうしたどうした、という目で見られるんじゃないかと思っていたが、それも自意識過剰で誰も何も変わらず特に凝視されることもなかった。すれ違う人も、すれ違う犬も、みんななんともない。

私だけが戸惑っている。

違う私になった気分で公園の中を歩く。

赤。

それは自信があって迷いなどなく堂々と突き進んでいる人の象徴。と私は思っていた。

それを着ている自分。

だんだんそんな気分になってくる。

強く、自信に満ちた、そんな人に今だけ、なっている。

赤いパンツがいいっていうのは本当かもしれない。

よくよく考えたら紅白帽を連想したが、もはや還暦のチャンチャンコの赤なのだ。

我ながら小学生の運動会を連想するとはずうずうしいとおかしくなった。

今年の夏はこのカットソーを着て、元気になる。