ぼんやり思う私の中の確かなこと

平均から外れている考え方、生活、体型、好み、一般的な型から外れたそれらは罪なのか。

違う。罪だと思っていた。

恥じることなのか。

違う。恥じる必要など、これっぽっちもない。

恥じていた。まだ少し、恥じている。

罪でも恥でもないけれど、誰かの心をざわつかせる。

誰がは理解できなくて排除したくなる。

力づくで圧力を与えたら変化が起きるかもしれないという気にさせる。

その人をイラつかせることもある。

人より出っ張っているところがあると、あちこちぶつかる。

私の場合、家族の中でそれがあったから、いつもどこかしら痛かった。

実際の自分の生体を知られてしまったらいけない。とんでもないことになる。

そう信じていた。

それは宗教のように根付いてしまった。

だから外に出るのを怖がった。だからそれが違うことにいつまで経っても気が付かなかった。

さっさと外に出てみればいい。

すごく怖いけど。

すごく頼りないけど。

出っ張りが激しければ激しいほど、それを好むマニアみたいのが、いる。

類は友を呼ぶじゃないけれど、似たような周波数を発している人がいることにも気がつく。

「みーっけた」

まるで同じ星出身の同志にこの地球で巡り会えたかのような嬉しさ。

ここにいた。ここに生息してたんだ。

それは日々の生活の中だったり、ネット上の誰かだったり読んでいた本の登場人物だったり、作者だったり。

会って実際に会話を交わしたりしなくてもなんとなく、同類だとわかる。同じ星出身だから。

彼らの存在を知ると自分自身が肯定されたように心強くなる。

 

そんなことを最近考える。

ほとんどの人が自分と違うのは面白いことなんだとようやくわかってきた。

理解されたいとか認めて欲しいとか、基本、無理なことなんだと思う。誰でも。

分かり合える、共感しあえるところだけを接点にくっついたり離れたり、遠ざけたり。

そうやって続いたり切れたり、それっきりだったりまた繋がったり。

悪ことじゃない。

自分を傷つける人からは離れて。

居心地のいい場所で慰められて和んで。

ふわふわふわふわ。

歯を食いしばって生きるのだけが、立派な生き方ってわけじゃあないんだなあ。。。

なんつって