埋まっているもの

息子を見ていると、亡くなった父とよく似た趣味思考があることに出くわす。

それは私が知らず知らず、彼にささやいた言葉や行動で父から受け継いだものが伝承されているのかも知れないが、物事の好き嫌い、割り切り方、捻くれ方、皮肉屋で照れ屋なところ、それでいて妙に敏感で神経質なところが、日に日に似てくる。

まるで埋め込まれた思考回路が、父のものと同じメーカーのリニューアル版なのではと思うくらいだ。

人ってある程度、何か決まった基盤を持って生まれてくるのかもしれない。

それがある時期、発動する。そうすると抑えきれない力で個々の性質が色濃くなって表に出てくるのではないだろうか。

そう思うと、私自身にもそんな装置が発動しているのだ。

遠い先祖の誰かの何かの欠片が、あれこれ散らばって私の中に埋め込まれているのかもしれない。

 

大学の頃から自分が周囲と何か、違うとはっきり感じるようになった。

なんとか馴染もうとそれっぽく振る舞い、それっぽい発言をしたりした。

中から湧き出てくる強い何かを押し殺し、求められている、受け入れられやすい型を探り、それに寄せていた。

あの時、家族も含め、周りの反応を全く気にしない行動を取るのはどう考えても無理なことだったと思う。

生き延びるためにそうしていたのだ。

弱かった。

歳を重ねてよかったなあと思うのは、環境も変わり、自分自身も経験を重ね、諦めもつき、素直にもなり、とんがっていたアンテナも鈍くなった。

今頃だけれど、自分がどうしたいか、私の中に埋め込まれた核のようなものが何を求めているのか。

それだけに耳を傾けていけばいいのだとわかってきた。

私という人間を私自身、よくわかっていない。

何が好きで何が得意でどういう特徴があるのか。

掘り続ける楽しみがある。

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