スターダストレビューというバンド、今更ながらいいなあと聴いている。
ラジオのゲストでボーカルの根本要さんが出ていた。話す言葉の選び方、テンポ、笑い方、声のリズムと音程がするするっと入ってくる。
お説教ぽくもなく、押し付けがましくもなく、自分語りとも違う。
哲学なんてないっすよぉ。そんなすごくないっす。ただ楽しいことやってるだけなんで。
並んでいてくれる、けど実はすごい人、見つけた。
目立たないところでそっと咲いていた強烈な癒し発するたんぽぽみたい。
ひっそりと隠れたお宝を見つけた見つけたと興奮しているが、知る人ぞ知る、ではなく、普通誰もが知っている。
聞いたことある曲ばかりがラジオから流れてくる。ああこれがスターダストレビューか。
検索してライブ音源を聴いてみた。
どの曲もどの曲もストライクゾーンに入ってくる。ハズレがない。大抵、こういうのって三曲にひとつは「ま、これは」と聞き流すのがあるのだが、それがない。くる曲くる曲全部、いい。
どうして今まで聴かなかったんだろう。
調べると彼らがデビューした頃私は12歳だった。そして聴いた頃のある代表曲はどれも全て実家にいた頃発表されている。
ああ、だからか。
あの時代に生きていた私は、禁止事項が多かった。
体が丈夫でないので寝る時間、食べていいもの、ダメなもの、行動、部活、付き合う友人、すべて母親の許可が必要だった。
自分自身、それを納得していた。
その小さな世界には流行りの音楽、深夜ラジオ、はなかった。
ひとりで何もできず、いつも誰かの後ろにくっついていたから、自分が何を好きなのかも深掘りしていなかったのだ。
誰かがいいというものをかじる。
誰かが行くと言うところにひっついていく。
特にそれで不満もなくきてしまった。
あの時代、彼らは確かに活動していた。そして今もそれが続いていて、中年になった私はようやくそれに気がつき、うっとりしている。
間抜けすぎる。
びっくりだ。
それでもあの当時の私の耳に彼らの曲は確かに届いていた。
それをいいなあと感じとるだけの器もアンテナもなかった。
クラシックとジャズ。父の聴いていた音楽だけを音楽だと、どこかで排除していたのかもしれない。
自分が何に興味を持つのかいまだによくわからない。
きっとそこかしこに、私の好きな世界の欠片は散らばっている。
毎日が宝探しのようで楽しい。
いいなあ。