昨日、ここに書いて良かった。
今の問題点とそれを自分がどう自覚して、どう行動するのか、それを書くことで表面化できた。
表面化するというのは、隠さないということ。半分、閉ざされ、半分公けなこの場所に書くということ。
宇宙にむかって叫ぶのと似ているが、散らばる星々に住む住人の誰かが聞いてくれているという確かさがある。
この場所で自分の今を偽りなく残していく作業は、私を安定させる。
小さな石っころをを置いて、自分の居場所を確認しつつ前に進んでいくのと似ているかもしれない。
私は自分のブログを読み返さない。
恥ずかしくてたまらない。
だから置いてきた小さな石っころの欠片が振り返ってみたら綺麗さっぱり無くなっていたとしても構わない。
ここに置く、そのことだけに意味があるのだ。
ラジオ体操のハンコのように。
私が何を抱え、何に苦しんでいるかなんて、そんなのどうでもいいような気がしてきた。
だってそれでも生きていくんだもの。
誰がどう評価しようと、誰のために産んだと言われようと、侮辱されようと、馬鹿にされようと、おだてられようと、褒められようと、私は生きていく。
やめてしまいたい、消えてしまいたいと逃げようとした時期も確かにあった。
あれはあれで必要だった。
だって、それでも結局、そうしない方を選んだ自分がいるという自覚があるから、それは選択肢から消えた。
なんだかんだいって、この先も生きていくんだ。
人並みにとか、生きがいとか、生きる意味とか、充実感とか自己実現とか。
なんかもう、そういういうの、いらないのかもしれない。
ただ、ただ、生きる。
うまくできない日もあって。なんだかわかんないけどワクワクする日もあって。
馬鹿らしく、くだらなく、毎日を繋げていこう。
逃げたいなあ、しんどいなあ、悲しいなあと思う日がその中に混ざるのは考えてみれば当然のことだ。
これから死ぬまでずっと毎日充実、毎日幸せなんて、そっちの方が不自然にも思う。
この当たり前の平穏の中で暮らしていること、これこそに感謝しよう。