今日は健診日。
先週、病院から封書が届いた。差出人のところにわざわざ先生の文字でご自分の名前が記載されている。
ということは、支払いや忘れ物などの病院側からの事務的連絡事項ではない。
以前このパターンであったのは、血液検査に異常値があるから至急来いというものだった。重ねて若い先生から電話があった。
しかし採血したのはずっと前だし、もし問題があったならもっと前に連絡してくるはず。
なんだろう。どこかに転勤してしまうから次の診察からは違う人になるという知らせだろうか。
内容はこうだった。
国立病院の教授が研究のために先生の診察を見学したいと言っているので、診察室に立ち会いを許可してもらえないか。
教授と研修医の二名、録音もメモも取らない。嫌なら当日内科の受付で断ってくれて構わない。
・・・なんで私。
なんでたくさんいる患者の中から私なのだろう。わかりやすく経過がいいからか。それとも珍しい症例だからか。
記録しないなら別にいいか。散々お世話になっているのだ、これくらいの協力させて頂かねば。
でもなんで私?
まあいいや。でもいつもみたいに心開いてペラペラ語るのはやめとこう。
「『いかがですか。』と聞かれたら『おかげさまで。安定しております』」だけにしておこうと思うわ。」
ゴミ出しで顔を合わせた母に立ち話でそういうと
「でもそれじゃあ研究にならないんじゃないの。先生を信頼していつも通りにして大丈夫よ」
と言われた。そうか。いつもと違ったら先生も立場ないか。それでも見ず知らずのおじさんに自分の心の中を覗かれるのは抵抗がある。
なんで私なんだ。
いつも診察の前になると今回は何を話そうと考える。
この3ヶ月の間に自分が考えたこと、気がついたこと、変わってきたこと、見えてきたこと。それに伴って日常の過ごし方家族との関わり方がどうなったか、身体の具合にどう連動してきたか。弱い心が今どんな調子か。
夏休み明けに子供が先生に話すように、話したいことは頭に浮かぶ。
今回も聞いてもらおうと思っていた。
自分は不完全な者として生まれたんだということ。
人は、じゃなくて私が。私はもともと不完全な状態で生まれた。だから世の人ができるのにどうして私はできないんだろうと思うこと自体がおかしいのだ。構造が違うのだ。
脳の中の小さな小さな細胞レベルが標準タイプじゃない。
それに気がついたのだった。やっと。
みんな遠慮して言ってくれなかったがそういうことなのだ。
でもそれを理解できたらだいぶ楽になってきた。そうか。それにしてはまあよく頑張ってるなあ私。と思う。
そんなことに気がついたのだと聞いて欲しかった。
私が普通に憧れるのはそういうことだったのではないかということを。
なんで私なんだろう。断ったら先生困るかなあ。当日、じゃあこの人ならって探すのかなあ。
・・・!
そうか。封書で届いたから自分が選ばれたとばかり思っていたが、違う。
きっと先生は自分の患者みんなに送ったのだ。
午前中の診察の間、ずっとその教授は診察室に滞在するのだ。それをずっと見続けて、拒否した患者の時だけ退出するのだ。
よく考えればわかりそうなものをどうして気がつかなかったのだろう。
そうなると知らないおじさんである教授にとっても私はただのサンプルのうちの一つなわけだ。
その他大勢。
なんだなんだなーんだ。
スッと気が楽になった。