ここにいるから

昨夜は取り乱してしまったが、やはり俺、受けてみようと思う。

寝ようとしているところに息子が言った。

 

三日前、転職試験に応募しようと思うと言い出した。

もう?

咄嗟に思った。いくらなんでも入社3年にしてそれは早すぎる。今の環境が苦しそうなのは理解できるがそれにしても転職とは。

堪え性がないように思え一瞬、がっかりした。

奴には前科がある。大学の1年、このままだと俺はなんのために生きているのかわからないと落ち込んだ。授業が自分の望んでいたものと違う。先生が宗教的な思想を押し付けてくる。専攻したものが特殊な内容なだけに期待も大きすぎたのかもしれない。

大学の授業なんてみんなそんなもんだよといくら説得しても納得しない。ついに学科移動の試験を受けた。いったん入学してから所属する学科を変更するための試験を受け直すなどと、わざわざそんな面倒なことに挑むなんて私には理解し難いことだった。

それは学年に数人、合格するかしないか。彼が転科希望の出願したことが学生課から担当教授の耳に入り、授業中「君は転科希望を出したそうだな」と言われ知れ渡った。落ちたら恥を忍んでこのクラスに戻らなくてはならない。

結果、合格した。転科した先での息子は別人のように毎日弾むように通い、優秀賞をもらって卒業した。

あの時も、決めてからだった。私に言ったのは。

さも相談するように、反応を伺うように話を持ちかけてくるがいつだってほぼ、決めている。

新卒採用試験を受けるときにはコロナで採用しないと言っていた会社が今年になって中途採用も含め40人を受け入れるのだそうだ。

その会社こそ、息子がずっと憧れてきたところなのだ。

そこに行きたいがために、それに繋がるアルバイトもしていた。

子供の頃からの夢でもある。

しかし、あまりにもビッグなところで、夢というよりはおとぎ話のようなはるか彼方の大手企業だ。

海外留学したり、難しい資格を取ったりと何年もかけて準備してくる優秀な人材が受けるようなところなのだ。

それをわかっているのか。入社3年のなんの取り柄もない若者が情熱だけですんなり合格できるようなところじゃない。

「後悔しない道を選びなさい。勝負するにはちょっと早い気もするけど、何度でもトライすればいいじゃん。」

結局背中を押した。

それが昨夜になって、人が寝ている枕元にやってきてこう言い出した。

「俺、何やってんだろ。受かるわけないのに、現実から逃げてるだけか。なんだか混乱してきた」

寝てるんだよ。私は。

「やめたくなったらやめればいいじゃない。誰にも話してないよ。受けて落ちたっていいし。直前で怖気付いたって誰も笑わない。お好きにおやり」

内心、よっしゃ。諦めたかと眠りについたのだった。

 

「昨夜は取り乱したがやはり受けようと思う」

あらららら。やっぱりそうなるか。まあそうなるか。

もう腹をくくる。彼の人生だ。

これまで法と健康に触れない限りは、やめろと言わないでやってきた。たとえそれが自分が理解できないことでも応援すると決めてここまできた。

就職してもう落ち着くかと思った私が甘かった。まだまだハラハラドキドキは続くのだ。

しかし、もう責任を一緒に負ってやる必要もない。眺めていればいいのだ。

「あれが取り乱していたとは知らなかった。まあどっちでもいいわよ。たくさん迷って決めればいいよ。どっちでも支持するよ」

今の職場にバレるかな。バレたらどうしよう。

まあそれは無いんじゃないの。知れたとしてもその時はその時さ。命まで持ってかれはしないよ。

その夜、何冊もの参考書を買ってきた。

付け焼き刃かも知れないけどと照れながら見せてくれた。

いいなと思う。

彼の中に熱いものがまだちゃんとある。

受けるのか、辞めるのか、受けて落ちるのか、再度挑戦するのか。

長いものに巻かれてるようで巻かれきっていない。

がんばれ。

めんどくさいことになってきたなと思っとりますが、何があろうと味方でここにおりまする。