おでんの炊き込みご飯から思う

おでんの残りの大根に豚肉を巻いて焼いた。

おでんの残りのちくわと蒟蒻とさつま揚げを細かく切ってにんじんの千切りと一緒に炊き込みご飯にした。

朝作った肉じゃがも、豚肉も炊き込みご飯も全部茶色い。豆腐の味噌汁も茶色い。

何か緑をとオクラと長芋の角切りに納豆を乗せた。あ、納豆も茶色い。

・・・気持ち、ミニトマトをつけた。

思いつくままに料理をするとこういうことになる。

センスの問題なんだよなあ。

それで、そういうことが起きないようにと献立を考えるのだが、パッと浮かぶ時といつまで経っても決まらない時がある。

こねくり回して無理やり作った時と、思いつきでやった場合では案外、後者の方が評判がいい。

そして思いつくまま作っている時はそんなに疲れていない。何も考えずに浮かんだまま動くからだろう。

手付かずで残されてもそれほどショックも受けない。怨念がないのだ。

あんなに頑張ってやったのにという執着もない。

おおらかでいられるから穏やかでいられる。

何かここに人生の大事なことが隠されているように思う。

毎日台所に立っていると、失敗もよくする。疲れている時は塩味が強くなるらしい。

作業が雑になるのだろう。

同じようにやっているつもりが揚げ物の油切れも悪かったり味噌汁が濃かったりとはっきりと出てしまう。

カレーですら美味しくない。

今日はパワーが足りないと思う日は思い切って魚を焼いてほうれん草のお浸しに卵かけご飯にしたほうがいいのだと最近になってわかった。テーブルの上を華やかに見栄え良くすることに神経がいって買ってきた惣菜を乗せてみたりしても、疲れている時はそのチョイスもどこかずれてて、チグハグな組み合わせのものを並べてしまう。

ダメな時はいっそスッキリと。足りない人はご飯をおかわりしてください。ふりかけならそこにあります。

大事なことは見えるところじゃない。

守るところは見えないところ。

そして見えないところは結構見えてる。