子供の時からお母さんになりたいと思っていた。
家事をしたかったわけでもなく、料理洗濯が好きでも手芸が好きでも園芸が好きでもない。
ただ家の中にいる人になる、と決めていたように思う。
父方の祖母と同居をするようになったのは小学校卒業と同時だった。
父が出社する、母と祖母は家にいる、私と姉は登校する。
家に戻ると必ず誰かがいた。祖母のところに来たお客がいたりすると、自分は知らない人でもなんだか特別な日のようだった。
おやつがちょっと豪華になり、家の中もすこし他所行きの装いになる。
母が用事で出かけても祖母がいた。
祖母は母がいないと戦争の話や昔、栄えていた頃の家の話をする。ポテトチップをつまみながらもう何回も聞いていて、すっかり覚えてしまっている同じ話を聞くのも好きだった。二人の時の祖母は気取りがなく、お茶目でちょっと行気が悪かった。
大学に入ると父の単身赴任が始まり、母が家を空けることが増えた。
祖母もいよいよ歳をとる。姉は学内サークルが忙しく帰宅が遅い。祖母を夜遅くまで一人にしたくなくて私は飲み会を断って家にいた。
思い返してみれば、その頃の祖母はちょうど今の母の年齢と同じ頃だ。今、母は同居している姉の夕飯の用意をし、帰りを待つ。週に二回運動教室に行き、隔週で吹き矢、その合間に友人との会食や旅が入る。元気に忙しくしている彼女の様子と照らし合わせると、当時の祖母も元気だった。そこまでする必要もなかったのかもしれない。
私の方が勝手に、そこに自分の意義を見出ししがみついていただけなのだった。
勉強もでき、いざという時には母に頼られる姉とは違い、冴えない自分が役に立つ場所はここだとでも思っていたのだろうか。
張り合っていたのか。
隙間家具になろう。
いつからかそんな考えがあった。
みんな外に出たり入ったりする家庭に一人、いつでも融通のつく者が家にいる。
ご飯を炊くとか、洗濯物を取り込むとか、たいしたことはしないが、誰か必ず家にいるという安定感。
ここ、ちょっと困ったなあ、どうしうようかなあというところにすぽっとはまる奴、いつでも「いいよ」と引き受ける、それになろう。
体を壊し、鬱になり、自分を再構築をする時期があった。
自尊心の低さに気がつき、これじゃいけないと「隙間家具精神」をいったん遠ざけた。
みんなのために生きるのではなく自分のやりたいことを探すのだと課題を作った。
見つけよう見つけようとすればするほど、焦って落ち着かない。
迷走し続け最近、改めて行き着く。
やり方を間違えていただけなのでは。
役に立って喜ばれ、嬉しくて、もっともっとと認められたいがあまり自分を消していった。
頼まれたら断らない。
いつでも引き受けるには空っぽでいるほうが楽だからどんどん消して、ついに見失った。
それがいけなかったのだ。
ぐるり回って、10年が経った。
やっぱり私は隙間家具がいい。
我慢じゃなく、自分だけの世界も持ちつつ、家族に合わせて暮らしたい。
今度は軽やかに、しなやかに、そして強く。
怠慢なだけなのか。違うと思うがわからない。
もっともっと積極的に外に出よと人はいう。
エネルギーが満ちたら、そんなふうに行動したくなるのかもしれない。