私は私で在ればいい

なんかもっと無責任でいいんじゃない?

最近そんな考えがよく浮かぶ。

それはみんな、そうしているとか、この辺りまでなら許されるとかそういうものじゃなくて、どこかに自分みたいな生き方をしている人を探して安心するのでもなくて。

私はずっと探していたように思う。どこかに自分と似たような価値観で似たような生態で似たような暮らしをしている人を。

そんな人を見つけて、ああ私もこれでいいんだ、と思いたかった。

もっと堂々と。もっと開き直って生きよう。ここからは。

私は私で在ろう。

たくさんの情報やライフスタイルのサンプルが目に入ってくるから、ただ、自分であるというだけのことが難しい。

特に私のように自分軸をずっと人にお任せで生きてきたブレブレには、魂が求めているものと違うものでもキラキラしている人や物を見ると途端に、そっちがいいかも、本当はそれかもと思ってしまう。

好きにしたらええやんけ。

これまでも似たような考えは浮かんで、そうだ、と自分を勇気付けたり決心したりしてきたけれど、近頃のこの湧いて出てくる感じはもっと太々しく、厚かましい。

そうは言ってもまだここから、本当に腑に落ちて自由になるのに何段階かありそうな手応えだけれど、そっちに自分が引っ張られている心強さがある。

好きに生きたらええやんけ。

この世の中は遊園地。みんながジェットコースターに長蛇の列を作っていても私はメリーゴーランドが好き。ベンチで遊びにきている人を眺めているのが好き。

味わい深いなあ。生きるって。