寄り道

歯医者の帰り、二子玉川の大きな本屋に寄った。

結婚する前は神保町に住んでいた気楽さで土日というと用もないのによく伊勢丹に行った。

やれ美術展がある、やれ、イギリス展だ、イタリア展だとかこつけて通う。お決まりの店で昼を食べ、いつものコースをたどって店内を上から下までくまなくみて回る。甘いものを食べながら頭を冷まし、さっき目についたあれ、やっぱり買うか買わないかと思案し、また店に戻る。最後は地下で食材を買い、急いで帰る。母と。姉と。いつも誰かにひっついていた。

バーゲンといえばもう祭りだ。朝から乗り込む。売り場でまず解散、それぞれ大きなビニールに自分の好きなものを入れて一旦、集まる。階段の脇で荷物を見せ合い、あれはいらない、これはいいから買え、これは似たようなの持っていると互いに品定めをする。そこからは合流し、試着。ちょっと色違いの、持ってきて。もうひとつ大きいサイズの方がいいわよ。あなた、本当に何着ても似合わないわね。

大概、私はここでパシリになる。二人の要望に応えて小走りでサイズや色の違うもの探し、二人にほらよと持ってくるのだ。

あの頃、私は何が楽しかったんだろう。

漠然とした自信のなさと、根拠のない自信が混在していた。自分が何が好きで何を求めているかなんて考えたこともなく、その場その場に流されふわふわしていた。

その日、何を食べるのか、その日、何を買うのか、どの店を見るのか。全て成り行き任せ。

人生においてもすべて、そうだった。

主導権は母にあったからなのだが、それはそれで心地よかった。

女帝は辛辣だが、頼もしく、愉快だ。依存していれば自分は深く考える必要がない。

毎日気楽だった。

ある時からこの関係に疑問と窮屈さを感じ、いっぺんに色々崩れた。溝ができ、拒絶し、長い長い時間を経て、最近になってようやく程よい距離感が保てるようになってきつつある。

彼女たちは今も銀座や渋谷を歩き、ランチをする。

しかし、私はもう彼女たちと一緒に行動するのは苦手になってしまった。

同時にすっかりデパートもカフェも無縁になり、半径200メートルの地味な行動範囲の中にいる。

久しぶりの繁華街。6階の本屋に辿り着くまでに目に入るすべてが珍しく、吸い寄せられる。

おお、これが息子のよく話に出てくるあのブランドか。ああ、これかあ、よくテレビで出てくるキッチン雑貨。うん万円もするブラウスを扱う店、3000円のスカートが並ぶファストファッション、いい匂いのする石鹸、洒落た家具、寝具、スニーカー、なんでもある。

バランスよく、小さくコンパクトにあれこれ詰まった情報発信基地のようだ。

ついつい昔のように丹念にひとつひとつ見て回る。

目的の6階にたどりつくまで全フロア、見た。服を見ていると若い店員が話しかけてくる。昔のように決まり悪く逃げたりせずににっこりわらって「ありがとう」と言う。

だいたい、どこに何があるか、わかった。

私が雑誌で見て素敵だなと思っていた雰囲気のものはここ、廉価だけどセンスのいい服はこの階のこのへん、珍しい調味料はあそこで、雑貨はあのあたり。

 

ようやく目的の本屋に辿り着き、お目当てのものを買い、帰る頃には足はガクガクしていた。

時間も気にしないで本能のおもむくまま、練り歩いたのはいつ以来だろう。

久しぶりだ。心地よい疲労感。

何か手頃で面白いものがあったら買おうと意気込んでいたが、結局何も買わなかった。

あ、いいな、と惹きつけられるものがあり過ぎる。

お勤めに行くわけでもない私には、おしゃれな服を買ったところで着て行くところもない。

「もし欲しくなったらあそこにしまってある、としておこう」

この建物の中身を、すっかり自分の家のクローゼットや倉庫にしたつもりになる。

14000歩。

遊園地に行ったような高揚感だった。

『うちの倉庫』のどこになにが置いてあるか把握しておくためにちょくちょくパトロールだけは続けねばならない。