自分が摂食障害だと言うことを母にはっきりと公言してからだいぶ楽になった。
いっときは本当に飲み込めないと、自分でも理解できないがどうしても食事することに拒否反応が強く出た。
困ったことに実家との食事がとくにダメだった。
それをわがままだと叱られ、マナー違反だとも言われたが、どうにもならない。ついに実家そのものが怖くなる。
それが病気なのだと知ってから、救われた気がした。
しかし今度は精神病だと受け入れるのが別の意味でしんどい。
どうして私は他の人が普通にできている親子関係すらも、食事すらも人並みにできないんだろう。
人として落ちこぼれてしまった。
なんとか軌道修正を図ろうと躍起になる。でも一度外れた車輪をもう一度同じレールに引っ張り上げるだけの気力も体力もない。
こっそり泣いて、地味に不貞腐れ、投げやりにもなり、怒りも覚え、そしてまた泣く。
それでも生きていた。
死にたいと思ったこともあるにはあった。消えてしまいたかったのだ。全て投げ出したいだけだった。
息子がまだ中学生だったので、今、彼の人生に暗い影を落とすことは絶対できない。
投げ出すくらいなら、どんな無様な姿でもとにかく、ここに居よう。
いつでもやめられると本気で思っているなら、明日だっていい。とりあえず、今日は生きる。
そうやって毎日を繋いでいった。
自分が変わらなくても環境が変わる。
息子は青年になり大人になる。彼自身の価値観で世の中を私を見つめる。
おかしいことはおかしいと主張し、嫌なものは嫌だと言う。
家の中にあった妙な歪みにも抵抗した。
学校やサークル、塾、大きな組織のやり方でも納得できないと従わない。
ハラハラしながら見守りながら「こいつ、すげええ」と母親である私は密かに彼の生き方を尊敬した。
「私は摂食障害なんだよ」
ある時、もう苦しくて、それこそどうなってもいいと捨て身で母に訴えた。
もう私を矯正しようとしないで。諦めてよ。
「そんなわけない。あなたのは内臓が弱いから虚弱で消化できないのよ。普通の人より体が弱いから」
違う、そんなんじゃない。逆だ。元々虚弱の私が、摂食障害になんてなっちゃったんだ。心臓も弱い。肝臓も腎臓も弱い。脳も弱い。そして摂食障害になった。それが今の私。
べえべえ泣きながら取り乱したが、母は「違う」としか言ってくれなかった。
それでも隠し事がないというのは心を軽くした。
何より自分で自分を明らかにした。母に言いながら、そうか、そうなんだ、私は虚弱の摂食障害なのかと理解する。
不思議と、ストンと何かが落ちた。腑に落ちた。
いまだに、自分を不甲斐なく思っている。
ただ、違うのは、それをなんとかしなくちゃと、躍起にならなくなったこと。
母に泣いて「私を矯正しようとしないで」などとやりながら、一番自分に厳しかったのは私自身なのだった。
私の中にもう一人の小さな私が居る。ずっと縮こまり申し訳なさそうにオドオドさせていたのが自分だと想像すると、気の毒なことをしたなあと思う。
もういいよ。そのままで大丈夫だから出ておいで。
必ず守ってあげるから。絶対何があっても味方でいるから、出ておいで。
目で見る物、人。耳に入ってくる言葉。
それは全部景色。現象。
ただ、起きているだけのこと。