「トンさん、ちょっとこれ見て」
夫が足の裏を見せる。足の裏に釘でも刺したかと思って放っておいたら血豆ができたみたい。これ、医者に行こうと思うんだけど、どこかね。皮膚科かね。
真ん中がどす黒い丸で盛り上がり、それを囲む皮膚が白く輪っかになっている。
「皮膚科だね。ちなみに余計なお世話だけど、それは血豆じゃない。たぶんウオノメ。周りの皮膚が白いから早く行ったほうがいいよ」
皮膚科ってどこ行けばいいの
駅の上のあそこ。
あそこ、大丈夫かね。
評判いいよ。口は悪いけど余計な薬は出さないし、判断も早いし、意外と優しい先生だよ。
あそこ、なんて名前だっけ。
〇〇皮膚科。ホームページあるから時間確かめるといいよ。
それから二日経った昨日の夕方、診てもらってきた。
やはりウオノメだったそうでその場で処置をしてもらい、来週またいらっしゃいと言われたとまた、報告に来る。
「トンさんのいう通りだった。ウオノメだったよ。行ってよかった、もっと早く来ればいいのにって言われた」
「よかったね」
「うん。よかったよお。じゃ、まだ仕事あるんで」
そのまま2階に上がって行った。
その晩、夕飯時、急に心臓がバクバクする。疲れたのか息苦しい。そっと胸をさすっていた。
「どうしたの」
「うん、ちょっと鼓動が激しくて苦しい」
「トンさーん」
ちょっと悲しそうに困ったようにつぶやき、またテレビに目を戻す。
「医者に行ってさあ、先生にこれ痛かったでしょうって言われて、なんか嬉しかった。痛かったでしょうって言ってくれて」
あ、それわかる。自分の抱えていたものを預かってくれたような安心感。もう一人じゃないよという感じ。
あの時も、あの時もあの時も。何度か私も覚えがある。
急にムラムラとしてきた。
「なんだよ。それ。私なんか、死にそうになって倒れる寸前のとき、苦しいから嫌だって言ってるのに、マイルがなくなるから旅行に行こうとか、空港に行って帰ってくるだけでいいとか。あのとき病院でこれは辛かったでしょうと言われて泣きそうになったよ。退院してきて食事が普通にできたのが嬉しくて一緒にしばらくリハビリに定食屋さんに行ってって頼んだら、うーん、あと2年待って、とかさ。気が遠くなったよ。骨盤を骨折してるのに家事をしてたときだって、膝の骨を折ったときだって、結石で痛み止め飲んでたときだって、喉の嚢胞の手術するときだって。あなた、いつもふーん、だけだったじゃないよ。今だって胸が苦しいって言ってんのに『トンさーん』だけじゃない、なんだよ、それ、それでウオノメ程度で痛かったでしょって言われて嬉しかったって。なんだよっ」
自分でもびっくり。
何を言い出しているのか。何を今更。
もっと驚いたのは夫のようで、席を立ってこちらにやってきて背中をさする。
「トンさーん、ごめーん、ごめんよお」
「言っとくけど、先生に痛かったでしょうって言われて嬉しかったって発言に怒っているんじゃないから」
ごめんよぉ。としか言わない夫。それを繰り返す。
わかっている。口下手の彼にはこれが精一杯で、そこに愛はちゃんとあるのだということも。
つい自分のことに夢中になって他が考えられなくなるだけだっていうことも。
私自身がもっとちゃんと自己管理をして甘ったれず、自分の足で立てばいいのだということも。
そうやってもう過去のことになっていたはずのことが一気に吹き出した。
かなり、恥ずかしい。
「もう、いいよ。わかってるから」
「ごめーん。ごめんね、トンさん」
そう言って席に戻った彼はまたBSのニュース番組を食い入るように集中し始めるのだった。
私も何事もなかったかのようにiPadで動画を眺める。
数分の出来事だった。
夫のウオノメを切開したように、私のどこかにあった膿もプチンと割れて外に出た。