運動音痴で観戦にも興味がない。東京オリンピックの時でさえ、今一つ熱量が低かった。
結果とハイライトを見て参加している気分になる。その程度。
子供の時からスポーツに興味がなく、テレビの前に座り手を叩きキャーキャー言う姉と母に比べ、どこか冷めていた。
「もう少し好奇心とか社会性とか持ちなさいよ、つまんない人ねえ」
そう言われても盛り上がれない自分を「やっぱり私って、ダメ」と思う。
それが今回のWBCに限っては引き込まれている。
そんな自分がちょっと嬉しい。
昨夜は夫も息子も仕事だったので、一人、観戦した。
なかなか点が入らず、張り詰めた空気も感じ、見ているのがしんどい。
いっそのこと海外ドラマに切り替えようか。
家族三人ではなく一人きりだと、自分の応援の熱量が試合に影響するような責任感を感じて苦しくなってきた。
この人達、この数十倍の重圧の中、やってるんだ・・・。
私の知らない感情をいくつも味わい乗り越えての今なんだなあ。
すぐ逃げようとした己を恥じ、一人、画面の前で正座した。
野球は選手、監督、コーチの表情がよく映し出されるのでドラマを想像する。
なかなか打てない選手も、エラーをしてしまった選手も、好成績が続いてみんなの期待を背負ったエース、それを支えようとするベテラン、誰も彼もが気がついたら自分より若い、子供か弟か、後輩か。
どの子も健気に見える。監督ですら駆け寄って背中をさすってやりたくなる。
ピンチに立たされマウンドに一人立つ。かわいそう、もうダメなのかもなぁ。疲れ果ててるんだ。無理ないよ。
違う、それを修正する。
この人はこんな修羅場でこそ、燃えるのかもしれない。何でもかんでも事勿れで回避してきた私などが経験したことのない道を通ってきたんだ。そういう人達!その集団!監督だって背中をさすられたくもないだろう。
目を逸らしたら負ける気がして、ダメかもと思ったらそうなる気がして雑念を払う。
スランプだった彼が打った。よかったねえ。辛かったねえ。いい笑顔が出た。よかったよかった。
勝手に親になったり姉になったりしながら見守った。
ダルビッシュ選手が出てきた。
その投球ときっとひきしまっった顔、落ち着き払った振る舞いを見て安心する。
もう、私がいなくても大丈夫ね。
お前は何様なのだというような心のつぶやきを胸に、階段を上がり、眠りについた。
疲れた・・・。
朝。勝った、やっぱり勝ったんだ。
みんな、ありがとう。おめでとう。今日はゆっくり休んでね。
あ。きっと違うんだ。休むわけがない。
及ばずながら、ついていきます。