母の足は順調に回復している。東京03の舞台を観に行くんだと怪我をした翌日に張り切っていたが、あれは後からの報道で知ったが武道館だった。武道館の客席というのは急勾配の階段のようになっている。あの足でよく行ったものだ。そのガッツが素晴らしい。
先日、整形外科の先生にもう体操教室に行っていいかと尋ねたそうだ。
「どのくらい?って聞かれたから軽く1時間半、運動するっていたら先生がそれはまだちょっと待ってて」
私、がっくりしちゃったと本気でしょげている。
さすが、102まで生きた祖母の娘だ。
いい意味で気が強く、いい意味で負けず嫌いなのだ。
その彼女が90を過ぎて二世帯だが独立して生活している女性の家に遊びに行った。
90代から見れば自分の方が若輩者だと食器の上げ下げをしようとすると、やるなと言われたそうだ。
これも運動だからって言って、お皿を一つづつ運ぶ。テーブルの上にはやってきた友人たちに土産に持たせようと綺麗に折られたペーパーナフキンの花がたくさん、飾られていたそうだ。
白和、煮物、おこわ。持ち寄りでと事前に申し出ていたが、手作りの料理が並んでいた。
「すごいの。偉い人がいるんだなあって思ったわ」
自分はダメだと何度も繰り返す。
彼女にはジャッジ癖がある。
あれだけパワフルでいるが、自信がない。
母が私に苛立ち、何をらやらせてもダメな子だと、人と比べていたのは、そこが根底にあるのだった。
自分と娘を一緒くたに思う。子供は自分の作品のように本気で思っている。
だから出来の悪い娘の存在は自分が評価されているようでいたたまれないのだ。
同居していたお姑さんは、高学歴の子供達を育てているからいつも劣等感を感じて戦っていたのかもしれない。
この仕組みに気がついた時、怒りというより、彼女をぎゅうっと抱きしめてやりたくなった。
ずっと必死に生きていたんだ。なにか、見えないものを怖がって、不安の中で闘っている若い母に会いに行きたい。
あなたの魅力は学歴とかじゃないよ。お姑さんが持っていないものがあるから、お父さんはあなたを選んだんだよ。
そこ、だけでいいんだってば。
そしてその目の前で自分に価値がないと悲しんでいる幼い私にも言ってやりたい。
あんた、結構、いい味だしてるよ。面白い。世界に一人しかいない、素敵な子だよ。本当に素敵な子。ぎゅうううううううっ。
「私、人見知りで引っ込み思案だし、とてもじゃないけど今、自分の家に誰かを招こうなんて気になんてなれないわ。あんなふうに立派に歳をとるひとがいるのねえ」
体操教室のお預けをくらい、立派な先輩を目の当たりにしてガックリとする。
「あなたの持ち味はそこじゃないから。私の方こそ、お母さんの歳になって武道館に行ったり、バーゲンに行ったり、友達とランチしたりなんてできるかと思ってるわよ。自分じゃわかってないけど、あなたも相当、すごいですよ」
そうかしら。
嬉しそうに笑ったが、本当にわかっているのか。
たとえ、何もできなくても、生き甲斐がなくても、夢や目標がなくても、ただ、生きているだけで、みんな、すごいんです。
ここ、テストに出ます。大事なとこ。