あなたなら折れていたわ

母が転んだ。

銀行に行く途中、歩道と車道を繋ぐゴムの乗り上げに突っかかったそうだ。

幸いなことに怪我は両手の擦り傷と打撲だけで、そのまま用事を済ませ、湿布を買って自力で歩いて帰ってきた。

そんなことになっているとは知らず、歯医者の帰り、デパ地下に寄ってサラダと餃子を買って届けたところ、どんよりテレビ画面に向かっていたのだった。

異変を感じ、熱でも出したかと聞こうととしたら

「大変なのよ」

と言う。

あそこの交差点の洋服屋さん、わかる?そこの角とその脇の細い路地のところ、あそこでよ。足元が何かに引っかかって「あ、転ぶ」と思ったらもうどうにもできなくて。倒れていったのよぉ。

まだ少し興奮しているのか、事細かくその時の様子を話す。

「痛かったでしょう。かわいそうに」

膝に手を当てると明らかに腫れている。膝の皿の脇を打ったようでそこがこんもり丘のように膨れている。

「骨は折れてないから」

確かに歩いて帰ってきたならそうかもしれないが、昨年末の私も、念の為と歩いて医者に行ったら折れていた。

「あなただったら折れてたわよ、間違いなく。でも私は大丈夫。歩けてるし」

「でも、腫れてるじゃない」

「腫れてないって」

「腫れてるよ、ここ、ほら、触ってごらん。ヒビが入ってるってこともあるからね。明日、お医者さん、行きなさいよ」

「明日はだめっ」

強い口調でムキになる。

「明日、吹き矢だもん」

ああ。体操教室より母はこっちの方が好きなのだ。恋とかそんなのとは違うが、男性も参加していて彼らとのおしゃべりが楽しいのだ。上手にできたら褒めてくれて失敗すると慰めてくれる。男の人に優しく扱われるのはやはり心地いいのだろう。

いつも隣駅の集会所まで友達と歩いて通っているがこの足では無理だ。

「歩いて行くの?」

「歩くのは無理よ、だから別にしてもらってバスで行くわよ」

「バスだって・・。行くならタクシー呼んでタクシーで帰っておいで。呼んであげるから。」

一緒に行って、近くで待っていてもいいが、きっとそれは嫌がる。

「まあ、無理はしないわよ、痛くなったら休むから。でも骨は折れてないから大丈夫。あなただったら折れていたわよ、絶対」

まあそうだけど。

夕方、気になって覗きに行くと、休みで居た姉と喧嘩をしていた。

自分が動けないのに姉は一日中ゴロゴロ寝ていて夕飯の支度もしないと言う。

「やっぱり痛みだしてきたんでしょう」

突然思うように動けない煩わしさと痛みとで、苛つくのだ。

「違う。骨は折れてないから。大丈夫よ。あなたなら折れていたけど。心配しないで」

明日は行くなと言われるのを警戒して、大丈夫だと連発するがどう見ても怪しい。

「いちいち心配してあれこれ作って持ってこなくていいからね。大丈夫だから」

姉と目配せをして戻った。

一夜明けての今日。足はどうなったか。

聞きに行くと大騒ぎをしていると怒る。

放っておくと拗ねる。

あれこれ世話を焼こうとするとうるさがる。

かといって、不便なのは違いない。姉も出社で帰宅は10時。食事、買い物をさも、ついでのようにフォローするには。

そもそも吹き矢はどうするのだろう。

言うことを聞かないのは面倒だが、その気力のあるこの程度で済んだことは、本当にありがたい。

「あなただったら、間違いなく、骨折れてたわよっ」

違いない。