「とにかくナーンの心配もいらんのだな」
最近息子が連発する。
気がかりなことが特別あるわけでもないのに言う。
「そうだよ、全て順調。全てがいい方向に向かっとる」
根拠のない自信で私は答える。小さな凸凹や試練もその時はわからないけど、居心地のいいところに移動していくために通過しているトンネルみたいなもので、ある時、パッとそこを抜けて晴れた空が広がる。
長いトンネルもあれば、短いのが抜けたかと思うと次から次へとやたら設置されている線路もある。
朝、昼、晩。それにしてもこの数日、呪文のように、そればかりつぶやく。
「とにかくナーンの心配もいらん」
「そうだよ。何が心配なの。具体的に紙に書いてごらんよ。片っ端から」
「いや、ただ漠然と」
俺はどうなるんだろう。俺の人生どうなって行くんだろう。
人生の舵取りがどうも自分だけの力ではうまくいかないこともあるんだと思い知った時。
思わぬ大きな波がドバーンとかかってきて進行方向を見誤りそうなとき。
自分が今どこにいて、どこに向かっているのかわからない。真っ暗なお化け屋敷の中を手探りで進んでいくような不安と恐怖。
でも、それはちゃんと生きているからだよ。
私はずっとそれに気が付かなかった。
引かれたレールの上を進んでいるから大丈夫と信じきっていた。不安なんてあるはずもない。
途中でそのレールが廃線になったら。そりゃもう怖いよ。パニックだよ。
自分で新しい路線を作って、そこを進み出したけど、今度は自分で行き先も決めた列車だけど、時々それでも揺れが激しかったり隣の列車が速くてカッコよく見えたり、パワーが落ちる時があるよ。
今、漠然とした不安を抱くのは自分の意思で進んできたからだよ。
ちゃんと自分を自分で生きてるからだよ。
すごいなあと思ってる。
だから、大丈夫。
・・・とは言わず
「書いてみたらどれもこれもどうでもいいことや、今考えてもどうしようもないことばかりだよ、意外と」
「ま、そんなもんだろうな」
息子に言いながら自分にも言い聞かせた。
今、この瞬間の連続だもんねぇ。楽しまないと。