卒業式

朝のラジオで今日は卒業式だという投稿があった。

そうか。三月。もうそんな時期なんだな。

決算、人事、確定申告。私の生活圏で飛び交う言葉は年度末というとそんなのばかりでピンときていなかった。

スーパーに行くとやけにちらし寿司やケーキのデコレーション、お菓子の徳用袋なんかが全面に出ているのは、ひな祭りを意識しているのだとばかり思っていたがそれだけではなかったのか。卒業祝いのパーティか。

それくらい遠いことに思っていた。

小学校の卒業式三日前になって息子が「やっぱり制服で式に出るのやだ」と言い出した。

当時の私は体調が悪く、家の中では密かにキャスター付きの椅子に乗って台所仕事をしたりしている頃だった。

「だって中学の制服着て行きたいって言ってたじゃない」

進学する学校の詰襟が嬉しくてそれを着ていくとしてたのが急に変わったのは、どうやら友達はみんなその日のために新しいスーツを買って準備していることを知ったからだった。

そのことは私もママ仲間から聞いてはいたが、本人に確認すると制服でいいと変わらないので、呑気に構えていたが、そういうものではない。若干12、3歳の子供の意思なんて、簡単に左右されるものだ。自分がしんどいものだから「いいから買いに行こう」と連れ出し、念の為に用意しておくことを怠った。

体力があったなら、即座にデパートに連れて行っただろう。夕飯の支度をしているときだった。それでも電車に乗って数駅で渋谷にも二子玉川にも行ける。すぐ身支度して家を出れば閉店まで数時間はあったはずだ。あるいは息子に向き合い真剣に、どうして周りの人と同じじゃないと嫌なのか、恥ずかしいのか討論することもできたかもしれない。

不安そうな、それでいて怒ったような、そんな顔で私を見上げている。

結局どうしたか。

息子と自転車で隣町の大型スーパーの衣服売り場に行った。

一応、子供の服を扱っている。あそこなら。化粧もしないで気楽にいけて、ぱぱっと買える。そう考えたのだ。

広い売り場にはハンガーにぶら下がって式服になるようなスーツもあったが、何しろ三日前なのでスカスカである。残り物の中から選ぶしかない。

サイズの合うものはデザインが好みでなく、これならと思うものは小さいか、大きすぎるか。

それでもなんとかここで決めてしまおうと、強引に息子を連れ回す。

最終的にはグレーの上下のスーツにした。シンプルでなにもついていない。おまけのようについているネクタイを息子自身も気に入った。

しかし、それはサイズ的には小さかったのだ。去年買ったけど、もう一年、これ我慢して着なさいというような袖も身幅もギリギリぴっちりのものだった。

子供の晴れの日に。豪快にガハハと笑うような子でもなく、どちらかというとカッコつけしいの内向的な子だからこんな時こそ、自信の持てるようなパリッとした服を新調してやればよかった。

丁寧に店員さんに扱われ、卒業式のお服ですかと聞かれ、お似合いですよとおだてられ、服を選ぶ。そんな記憶を残してやりたかった。

「なんかこれ、きつい」

「スーツだもん、そんなものだよ」

イラついていた。私は息子を強い口調で言いくるめた。あれは違う、嘘だ。きついのは、当たり前だ。もう一つ上のサイズがなかったのだ。

当日の息子は大真面目に緊張した顔で壇上に立った。校長先生にお辞儀をし、こちらを向いて礼をする。自分がサイズの合わない上着を着ているなんて思ってもいない。

夫は呑気になにも感じず手を叩いている。

チクチクチクチク。ふわふわふわふわ。

体調の悪さと罪悪感と、体育館の寒さと、悲しみ。

ごめんね。本当にごめん。

あの時の小さい小さい戸惑ったような男の子の息子をぎゅうっとしたい。

ぎゅうううううううっ。

 

そして卒業式の場にいる私のことも抱きしめたい。

よくやったよ。最悪の中でできることはそれしかなかった。しょうがないよ。よくやったよ。

時は巡る。

心も体もきっと良くなる。

息子は強くなった。

私も強くなった。

 

本日晴れの日を迎えられるみなさま。

本当におめでとうございます。