中年長男は今朝早く英語のテストに出かけて行った。
昨夜遅くまで義兄と食事をして帰宅したのは10時過ぎだった。その前の晩、真新しい分厚い英語の本を側に置き、スマホをいじっていたと次男が嬉しそうに言いつける。
「あいつ、あれで勉強してるって言い張るからな」
納戸と机の下には開けてもいない教材セットの箱が二つ、ある。
「TOEICを舐めとんのか」
自分は毎日お気楽にドラマ三昧のくせに絡むと
「CDは車の中で聴いてたもーん」
お前は天才かっ。
私が倒れたとき、身も心も疲れ果てていたが、入院中は不思議と食事が全部食べられた。残さず食べても気持ち悪くもならない。それが嬉しくてなんとかこれを継続させたいと見舞いに来ていた夫に頼んだことがある。
退院したら毎週でなくていいから、時々一緒に定食屋に行ってご飯を食べてほしい。
するとこの男はこう言ったのだった。
「うーん、2年待って。週末、は英語の勉強したい。今、大事な時だから。これに賭けてるんだ」
彼も彼で会社でのポジション、野心、年齢、焦り、色々なものが渦巻いているさなかだったのかもしれない。
それにしても瀕死からやっと普通病棟に移動した妻に即答するだろうか。梯子を外されたようで悲しく、呆然としたのを覚えている。
あれから11年。
「2年だとぉ。なぁにが2年だっ」
気弱ですぐ泣いて悲劇の主人公だった妻は鼻で笑う。
「あの教材、使わないならメルカリでもブックオフでも売って私のお小遣いにする」
多分あの時、夫が私に寄り添い、手を引いて、週末自分のやりたいことも我慢して定食屋に連れて行っていたとしたら。
今の私はなかったと思う。
今の自分の方が好きだ。
昨日見ていた海外ドラマのなかで、控えの選手にさせられることを受け入れられずに落ちこむ主将に彼女が言っていた。
『あなたのことをどんな人なのかと決めるのは、周りじゃない。あなた自身よ』
妙に響いて残っている。