中年長男

夫を夫だと思わなくなってきた。

彼に夫らしさを、私たちに夫婦らしさをといった意識がだんだん薄くなってきた。

頼りになる長男。

騒々しく、デリカシーがなく、でもいつもどこかドカンとしている長男が夫。

そして繊細でよく気がつき、優しいが、細かいところもある次男の息子。

お洒落に興味のない長男に美意識の高い次男。

頼めばやってくれるが気の利かない長男に、気が向くと気を利かして優しい次男。

そして母親らしくも妻らしくもない私。

三人とも凸凹しているのに、ホームドラマで見るような型通りの夫婦像が私たちに当てはまるはずもないのだ。

架空のものと照らし合わせていたことにやっと気が付いた。

以前からうっすらと思っていたことだが、息子だと腹もたたないことなのに夫だとムッとする。

あれはなんだ。

甘えか。妙な期待か。それとも傲慢さか。

最近、自分の中で密かにやっていることある。

夫を息子だと思って接するゲーム。

仕事に集中して昼食に降りてこないと、息子だと心配するのに夫だと「食べるんかい、食べんのかい」と面倒に感じる。

だけど長男だから。「しょうがないなあ」と小さな弁当を拵えて2階に持って上がる。「血糖値下がるよ」と労る気持ちも湧いてくる。

中年長男は愚痴を言わないが、ため息ばかりつく。時々、恐ろしい罵倒のような言葉を一人、ぶつぶつ呟く。

「なんだよぅ、この家の中で負の呪文ばら撒くな!」

そう文句を言っても「ふふふ、ごめん、ごめん」と笑う。決して「俺の苦労を知らんのか」と私に対して怒ったことはない。

ドアの開け閉めがうるさく、階段をドスドスうるさい、食べる時は肘をついてズズっと汁を啜る。そしてちょくちょくどうでもいい小さな嘘をつく。平気でオナラをして、やりもしない英語の教材ばかり買ってくる。いつも眠そうで、いつも自分勝手に行動する。

それでもあいつはかなり、いい奴だ。

「この家に文句なんかありません」

「そりゃそうだろうよ」

あの人は私にも息子にも、ああしろこうしてくれと求めたことがない。いつも、私たち二人の存在に満足してくれている。

妻として尽くすことは照れ屋で我儘の私には小っ恥ずかしくて出来そうにない。

けれど一緒に暮らす相棒がこの男で救われているのは私のほうなんだと、忘れちゃいけない。