歩けるようになったのが嬉しくて、やがてそれに慣れた。
台所に立っていられる時間が増えても足の浮腫み加減が少ないような気がする変化に初め喜んでいたのに、慣れた。
病院に運ばれた晩、家族は今夜明日が山でしょうと言われたそうだ。
当時中学一年だった息子はお母さん、死ぬかもしれないと怖かったという。
そこから、一命を取り留めてもらい、歩けるようになり、階段を登れるようになり、ひとつできるようになるたび、心が弾んだ。
トイレまで歩けるようになった。一階の売店に一人で勝手に行ってもいいと許可が出た。シャワーの許可が出た。
もしかしたら病院から出ることはできないかもしれないというところから、なんとか退院。
そこからもがいてもがいてもがいて。
今こうして振り返ると、毎朝ラジオ体操をしている自分は奇跡なのだと今更ながら思う。
奇跡の裏にはあの人、この人、カウンセラーや研修医、技師、リハビリの先生、看護師、母、姉、夫、息子、次から次へと浮かんでくる。
忘れつつあったが忘れてはいけない。
今の私は私の努力じゃない。
朝、誰もいなかったので、もしかしたらできるかもと、ちょっと走ってみた。
1メートル、2メートル、3、4、5、ガードレール二つ分くらい、小走りができた。
嬉しくて嬉しくて、やっては歩き、また走ってみては歩きを繰り返した。
二週間前のことである。
やっと治った。
この間、足の裏の筋肉が痛く、立つにも座るにも硬く、歩くのも辛かった。
調子にのって、あとは鍛えるだけ!とすっかりいい気になっていたが、そんな簡単なものではないのだった。
キョロキョロ周りを見て、もっとああなりたい、あんなふうになりたいと、どこかゴールを急いでいた。
私は私なんだ。私はオリジナルなんだ。みんなオリジナルだけど。私もオリジナル。
よくいる誰か達みたいになろうとするのは違った。
私の歩く道は私しかいない。ただ、流れのままに進めばいい。
頑張って切り開いてなんてしなくていいんだ。
いかに自分をご機嫌に保つか。
呑気でいるか。
オリジナルというのなら、私のオリジナルで目指すところはデンっと座った肝っ玉で常に機嫌よく、だな。
ここからはそこを意識していこう。
ちょっとワクワクする。そう決めたらそうなれそうな気がする。
全治二週間だった。ちょっといろいろ考えた。