季節の変わり目

昨日、母が体調を崩した。昭和16年生まれ。今年で82になる。

少し横になるとすぐ良くなり、寝込みこそしなかったが、頭痛がして血圧が彼女にしては130と90と高かった。仏壇に手を合わせていたら吐き気を感じたらしい。

「もう歳なのよね」

悔しそうに言う。無念、といった感じだ。

亡くなった祖母が電球を自分で変えられなくなった時に悔しいと言った。それ以来、ニュースが何を言っているのかカタカナが多くてわからなくて悔しい、私に背を抜かれて悔しい、八百屋に行ったらおばあさんと呼ばれて悔しい、医者に行ったら老化だから仕方がないと言われて馬鹿にしていると心底悔しがっていた。

その度に母は

「御母様、80にもなったら人は誰でもどこかおかしくなりますよ。正常です、気が強いわねぇ」

と笑っていた。

「なんでこんなことを悔しいと言うのかしら。ほんっと、気が強いですよねぇ」

それを側で聞いていた私は何も思っていなかった。そうだな、祖母は気が強いのだな。普通はこんなことすんなり受け入れるのにいちいち抗っているのは負けん気が強いからなのか。母の解釈通り理解していた。

その説が正しいのなら、母も相当負けん気が強いことになる。

確かに気は強い。本人は自分の自我の強さを引っ込めよう引っ込めようと我慢をしているから不本意だろうが、そこは姉と共通の認識で彼女は決して弱くはない。

いつだったか、母が自分のことを「私は内気でおとなしいから」と言ったので、たまたまそこに二人居合わせた私たちが思わず

「いや、それはないでしょう」と答えた。

「エェッ、私、おとなしい方よ。友達の中でもいつもみんなの決めた通りでいいわって引いてるもん」

「いやいや、それは、外だから。あなたの場合は単に内弁慶なだけで、気心知れた友達にはバンバン言っているじゃないの」

姉が鋭い分析をする。

言いたいことの半分も言えなくて、アレだったというのなら、母は私に対して相当の苛立ちを抱えていたのだろう。

「決しておとなしいって方じゃないよ」

二人に揃って言われた母は認めなかった。

おとなしいからあのおばあちゃんと暮らしてこれたんだし、あのお父さんとやってこられたのよと怒る。

「違うって。お母さんが強かったから、あのおばあちゃんとも、お父さんともやれたのよ。おとなしい女の人だったら逃げ出していたよ」

今度は私が言った。

そうかしら。

納得しないままその場はお開きになった。

翌日、母のところに生協を届けに行くと電話の最中だった。

黙って荷物だけ置いて帰ろうとすると大きな声が聞こえた。

「私、気が強い〜っ?・・・でしょうっ。そうよねぇっ。娘がそういうのよっ。気が強いって・・・ねぇっ、強くないわよねぇっ」

・・・そこだってば。

この話題は母の長電話で数日、続き、姉も現場に遭遇したという。

 

その芯のしっかりした、けれど内弁慶で一生懸命強くふるまってきた母が心底悔しそうに「もう歳なのよ」と何度も呟く。

心配した態度をとると私を庇うのか、もう良くなったから大丈夫よと追い払う。

「何か食べたい物はない?お刺身とか」

「いらない、冷凍庫にお饂飩があるから。お姉さんの夕飯がないのよ」

「じゃあお鍋の材料でも買ってこようか」

具合が悪くなっても我が子の食べるものを気にするのは、自分とも重なる。

「本当に、どうしちゃったのかしら。歳なのねぇ」

自分は70歳だと言ってもまだ通用すると、つい先日豪語していた顔が悲しそうに見えた。

「そりゃそうよ。少しは弱ってくれないと。こっちがついていけないわよ。」

笑って悪態をついた。

こうやって順繰りにゆっくり時は流れていくのか。

できるだけゆっくり流れてほしい。