うちのお母さん

朝のテレビで「子供に早く早く」と言わないほうがいいけどやっぱりそれは難しいとやっていた。

そういえば息子に早くと急かした場面を思い出せない。

きっと何度もそんなこともあったはずなのだが、それより圧倒的に多かったのは「ちょっと待ってて」の方である。

幼稚園の時はお弁当作りでモタモタしていたのは私。

小学生になると、事前に言われていたのにプリントの提出を忘れていて「ごめんちょっと待って」と言うのも私。

 

私が急かしたこともあるにはあった。

幼稚園年少くらいまで、息子と渋谷に出ると、必ず電車を乗り間違えた。

駅のホームで扉の開いた車両が止まっていると「急げ」と小さな手をぎゅっと握り、階段を降りていく。

疑うことを知らない坊やは、必死にヨチヨチ足を運ばせなんとかその列車に母と一緒に滑り込む。同時動き出す。

やがて、母親が言うのだ。

「ごめんっ。この電車、反対だ!」

もしくは

「ごめーん、これ、急行だっ」

坊やは何度も一旦駅を降りて、階段を昇って降りて電車を乗り換え家に帰るのを繰り返すうちに学ぶ。

「お母さん、ここは1番線だけど、あってるの?」

「お母さん、これは各駅?ちゃんと僕の駅に停まる電車なの?」

小さな手はグッと母の腕を引っ張り確認を要求するようになった。

小学生になると、ある時期からプリントを分けてよこすようになり、返事がいるものを先に渡す。何日までだからと念を押しながら手渡される。中学生の後半あたりからは選り分けて、三者面談や授業参観などの親の関わる書類以外持ってこなくなった。

幼少期に親を疑うことを知ったのだ。

「演出です。お母さんの偉大さを知ってしまって萎縮させちゃかわいそうだから、あえて無能を演じたのです」

「ちょっと何言ってんだかわかんない」

成人した息子は鼻で笑った。