昨日の晩、アップした記事をうっかり消してしまった。
下書きが残っているのだと思って、横にシュッとスライドして赤く表示された削除を押してしまったのだった。
どなたかが星マークを残してくださった通知が入り、嬉しくてそこから自分の記事のところに飛ぼうとボタンを押すと
「お探しのエントリーは見つかりません」。
え、そんなバカな。まさか。
慌てて下書きをのぞいて何か残っていないかと確認しても無い。
再度公開した方を覗いてみても、ない。
やっちまったか・・。
たいした内容でもないくせにやたら落ち込む。
散々迷って買ってきたお茶碗をその日に割ったようだ。
「はあああ。あたしゃ寝るよ。今日書いたブログ、消しちゃったよ。立ち直れん」
こういう時は、意識して大袈裟に言ったほうが、そうでもないかと思えるかもしれない。
「ありゃ。おやすみ」
ええ、そうなの、気の毒にくらい言えよと、表情も変えずにテレビを観ている夫の態度が不満足だ。
しかし彼にとってはどうということのない話で、自分には何の不都合もないからそんなものだろう。
私だって、奴が毎日洗面所でも台所でも、風呂場でも「ふざけんなよまったく」「あぁぁぁ・・ざけんなよ」とダダ漏れの独り言を呟いていても反応せず、無視しているからお互い様である。
「私の生活空間に負のオーラを撒き散らすなっ」
むしろ、夫より対応は冷たい。
感情を共感しあいたいと思う派と、情報重視で会話のやり取りをする派がいるなあ。
そしてそのタイプや性格によって選ぶ言葉や、会話の間合い、テンポ、選ぶ単語やフレーズ、量、声のトーン、タイミング、言葉数、それらの組み合わせの数だけ表現方法が異なるから、相手が発している表面だけで反応すると見誤ることもあるだろうなあ。
そんなことを書いた。
まさに、今のこれだなあ。情報として、妻のブログ記事が自分の操作ミスで消えようが夫にはどうでもいい。感情として、この動揺を理解したリアクションをしろと物足りなく思う妻。
「ふざけんなよっ」と一人、仕事の愚痴を毒づくが、情報提供して会話にはしない。「どうしたの」と聞かれることを望んでいない夫。
何だか深掘りしたらこっちが滅入りそうだから聞かなーいと、自分の感情が揺さぶられそうだしと無視する妻。
「おやすみ」
「お疲れさん」
それでも潜り込む布団があって、明日の食べ物がある。
こんなことでドヨンとしている呑気な暮らし。