昨日、ついうっかりインターネットで自分の病気について調べてしまった。
生まれつきの虚弱だけでもややこしいのに、そこに途中から摂食障害が絡まった。ややこしい私はことごとく例外に当たる。
入院した時も全てが原因不明で、数値だけをみると危篤状態だった。
医学的には回復不可能、できても一生病院生活、そう言われていたのがなんとか退院し家事くらいはこなせている。
惑わされやすい弱さを自覚しているので、ネットでは医学的検索はせず、先生との対話のみを信じる。そう決めていたのに油断していたとしか言いようがない。
肝臓、心臓、腸、脳、つい、興味本位でのぞいた。
心構えをし、覚悟をし、前向きに強い心で臨むべきだった。
やはりああいう場所ではいいことは書かれていない。いかに深刻か、最悪どうなるかみたいなことを強く主張するのが多い。
それでも何か救いはあるんじゃないのと次を探す。キリがない。だんだんインプットした情報が多すぎて混乱ばかりする。
混乱すると、心も乱れる。悲しくなる。
途中から、あ、これ、もう堂々巡りだ。もうどこをどう見ても、この気分を盛り上げてくれる呑気なサイトは見つからないと我に返り、YouTubeで音楽に切り替えた。
とたん、部屋の空気が穏やかに変わる。
クラシックってこういう時、すげえ。
音楽の知識も何もない私を安心させてくれたのは、ブラームスの交響曲、第四楽章の出だしのところだった。
ブラームス、すげえ。
何年も前の人が、令和5年の私を慰める。
パソコンの中のアルバムから4年前の自分の顔が出てきた。顔つきが弱々しい。今より痩せている気もする。
あの頃の私は怒ることをしなかった。優しいと言えば優しく、繊細だと言えばそうかもしれない。今よりずっと穏やかだったようにも思う。いろんなことに立ち向かうことをせず、諦め、小さく小さくそっと暮らしていた。
その写真の顔つきが、今の私をイラっとさせる。
メソメソしやがって。怖がるな。お前はもっともっと強いんだよ。強い自分を恐れず出していいんだってば。
現在進行形の私は闘っている。自分の殻を突き破りたいとこの歳になってもまだもがいている。
殻を破るというのは、何も取り繕うことをしないこと。剥き出していること。
感情も。行動も。見かけの容姿も。センスも。知識も。
最近の顔つきには力がある。体重も増えてきたのかもしれない。体重計に乗るのをずっと前に辞めたからわからない。
私はやっぱりインターネットの症例からははみ出して生きている。
あれはあれとして。
目指すところは毎日お気楽。怒って、笑って、怒って、笑って、ちょっとしんみりしたりして、また笑う。
弱っちくなるのも私。奮い立つのも私。私は、ただ、私であればいいのだな。