一足お先に

結構本気で落ち込んでいる。

 

「節分、今年はどうする?仕事で忙しかったら代わりにやっておこうか。」

我が家は父が生きていた時は父が、それから夫が、今は息子が豆を撒く。

近所では、子供はいても豆を撒く家はないので恥ずかしいのだが、やらないと落ち着かない。

そんなんじゃ鬼が逃げていかないぞと、亡き父が呆れそうな声で静かに「鬼は外」と呟くように唱え、お印だけという感じで数粒、ばら撒くというのが息子の代になってからのやり方だ。

「都合がつかないならいいよ、ちょろっとやっておくから」

自分からもうやめたいとは言いづらいだろうと、そう言った。

「いや、やるよ」

信心深いタチなので季節の決まり事も大事にしたがる方だが、それでも今年も自分がやるというのは意外であった。

「じゃあ、おばあちゃんには言わないでおくから、都合いい時間、降りてきてね」

「7時ごろかな」

あんまり早くから母のところに今年の豆撒きの予定を言っておくと、今か今かと待つのも疲れるだろうから、直接息子が豆を持って撒きに来たよと言えばいい。

豆はとっくに用意してある。

昼間、スーパーに行ったらやたら混んでいた。みんな豆を求めてだろうか。

あちこちに鰯の簡単レシピや柊の葉が飾られている。レジ脇には節分の豆に便乗して、なぜかチョコボールと甘味噌ピーナッツと、ひなあられが、さらにその横にバレンタインのチョコレートが積んであった。

いっきに来たなあ。ハロウィーンからクリスマス、正月、そして節分、バレンタインからのひな祭り、そして卒業、入学。

スーパーはいつも先へ先へと誘導する。

今年は恵方巻きのコーナーはおとなしいなぁ。これもSDGsの一環なのかしら。

いつもならこれでもかと山積みになっている海苔巻きも、いつも通りだ。コロナの影響かしら。物価上昇の影響がこんなとこにかも。

恵方巻きは我が家ではやらない。ただ、豆を巻くのみなのでそのまま素通りして帰ってきた。

7時を過ぎても息子は降りてこない。忙しいのだな。やはりここは私が。いやいや、やってはいけない気がする。せっかく俺がやる仕事だと思ってくれているのだ、待とう。

おわかりでしょうか。そうです。私は2月1日をどういうわけか節分だと思い込んでいたのです。

こんなこと初めてだ。

そして夫も息子も私の勢いに疑問を持たなかったものだから、誰も訂正しないまま昨日を迎えていた。

言い訳としては、内心、息子が仕事とどう折り合いをつけるか当日までわからないから落ち着かなかった。さっさと済ませてしまいたいという心理は確かにあった。

しかしだからといってなぜ、今年に限って日にちを1日と思い込んでいたのだろう。

 

そんなことは全く自覚のないまま、紙でできた枡に豆を入れ、ついでに母と姉が食べるための小袋に分けて包装されたものも数袋、用意してお盆に乗せておいておく。

殿が降りてきた。

「あ、じゃあお願いします」

まず、うちの勝手口から。小さな声でそっと「鬼はそとー、福はうちー」。パラパラ。

続いて玄関。小さく、そっとパラパラ。

お前ら、俺様を舐めとんのかというような、勢いのなさ。ま、形だけね。ありがとありがとと、さっさとドアを閉めた。

「じゃ、行ってくる」

息子のみ、隣に向かった。

「おばあちゃん、きっと喜ぶよ」

今年はないのかなと思っていたところにひょこっと孫が顔を出し、豆を巻いてくれたら嬉しかろう。

勝手に自分の手柄のように満足して帰りを待つ。実家の玄関のドアが開き、締まり、鍵のかかる音がした。

「ただいま。」

「おかえり、喜んだでしょう」

「巻くには巻いたが。・・・3日だってよ、節分」

ここで、気がついたのだった。

「ごめん!ごめーん。おばあちゃんなんて言ってた?」

「あの人も張り切ったのねぇって。俺が3日は出社だって言ったら、じゃあ今、やっちゃってって言うんでやってきた。近所に恥ずかしいから小さな声でって言われたから、そっと、隠れて」

隠れてそっとじゃ、鬼祓いの意味も何もない。鬼も笑っているだろう。

どおりで、恵方巻き売り場も盛り上がっていなかったわけだ。

「ごめん、どうしてそう思ったんだろう。」

「いやいや、いつものことですんで。俺もあれっとは思ったんだよな」

「あなたが当日は会社にいくって知ってたから、あえてボケて、今日やっちゃいましょうという演出をしたのよ。」

「嘘をつけ」

「ここは私が馬鹿になれば全て丸く治ると思って、おばあちゃんも代理で私が行くより数日早くてもあなたに来てもらったほうが嬉しいだろうなあという、身を挺してみんなを和ませようという・・・」

「いやいやいやいや、まるで説得力がない。あ、俺、風呂入る」

夕食後、若干の項垂れ感を引きずり、一足先に寝ようかと食卓に残った惣菜を容器に移し替え冷蔵庫にしまう。

扉を開けると、光った庫内にラップのかかった小鉢が一つ、ある。

私が自分用にと作って冷やしておいた和物だ。すっかり忘れていた。

どおりで、なんか物足りないと思ったわけだ。

とどめを刺された。

節分を間違い、作った料理を食べるのを忘れた。

亡き父が笑っていてくれたなら、嬉しい。