息子は就職を決めた大学4年の後半から急にオシャレになった。
1000円カットだったのが表参道の個人経営の店に変わり、母の買ってきたユニクロ無印から自分で選ぶ無印に変わり、あっという間にカタカナのなんだか知らないけれど店の手提げ袋が捨てるには惜しい感じの店の服を身につけるようにとなっていった。
口には出さないが、職場を見学に行った時の社員達の服装を見て「そんな感じ」になりたいと思ったのかもしれない。もしくは「やべえ、こんな感じにならないと」と少し焦ったのか。
最近では懐具合も学生時代より潤滑になり、買い求めるものの質が上がっている。
セーターからのぞく白のバランスが絶妙なんだというTシャツ一枚の値段を聞いてびっくりした。
映画を見てドトールでお昼を食べてもまだ余る。
けれど、いいなあとも思うのだ。
仕事を頑張って、服を買い、それを着て仕事に行く。少しづつ自信をつけていくのがわかる。
知らない世界、知らない社会。二つの円の中心の私と重なり合っていた部分がどんどん小さくなり、彼だけのところが広がっていく。
やがて、それは点になるだろう。
そしていつか完全に分離する。
そこに向かっていく勢いを感じる。
それが頼もしく嬉しい。
今朝、着替えていた。
白のタートルネックのカシミヤのセーターに首を突っ込み、両手を伸ばす。新婚一年目、義父が海外旅行のお土産に下さった。初めは保護者会や習い事などの他所行きの時だけと大事にしていたが、いつからか、普段着になった。
その上にえんじ色のカシミヤのカーディガンを着る。
例年の組み合わせで、これは見た目云々より何より抜群の暖かさで手放せない。
このタートルネック、よく考えたらもう29年着てるってことか。
そのことに改めて気がついた。
カーディガンは同居していた父方の祖母の形見だ。母が「同じ痩せているもの同士、あなたなら着られるんじゃないの」とよこした。
祖母が80代の頃、叔母達が姉妹二人、イギリス旅行のお土産にと持ってきたものだ。
私を誘わないで二人だけで行ってこんなもので誤魔化そうとしていると、娘に置いてきぼりにされたことを本気で怒っていたのを覚えている。
息子が4歳の時に亡くなったからこれももう、20年か。
どちらも自分で買ったものでないのに、毎年冬になると一番活躍している。
雑に洗ってはほぼ毎日着ているので、新しいものを買っても結局これになる。
カーディガンに袖を通す。
袖口が伸びている。
まだ来年もいけるな。
忙しい毎日の戦闘服を買ってモチベーションを上げる息子を眺めて、自分も新しい服を買おうかなと思う。
けれどこの冬もきっとこの2枚にしがみつく。