石っころの幸せ

だって寒い。人混みに出て感染したらいけない。

それを言い訳に毎日ぬくぬく過ごしている。昨日は本を二冊、読み終わった。Kindleの無料の本なので同じ作家の続きを探す。チマチマ読む方なのでなかなか読破しない。あっちに気がそれ、こっちに気が散り、一つを読み終わらぬうちに新刊に目が入って、読みかけの本が急に煩わしくなったったりする。

本当の読書好きじゃないんだろう。

少し賢くなるためにこれくらい読んでおくかと選んだ本こそ、読まないで終わる。

息子を育てるときに気をつけたのは「私がどういう大人になって欲しいかという憧れは手放して、彼がやりたいことを全部応援してみよう」ということだった。

それはある意味、壮大な実験でもあり、賭けでもあった。

けれど、私ごときの知恵で導くくらいなら、中から出てくる興味を引っ張り上げて育てたほうが彼の生態を壊さないだろうと強く信じてもいた。

この子は本来、どういう生物として生まれてきたのか。

手を加えずそのまま成長するとどんな人間になっていくんだろう。

途中、想像もしていなかったことに首を突っ込んだり、発言したり、行動したり、拒んだり、かなり動揺する時期もあったが、やりかけてしまったものを今更、変えられない。ぐっとしがみつき、なんとか貫いた。

やっぱり私の思い描いていた「息子ってこんな感じ」からははみ出た、ちょっとユニークな人間が今、私と暮らしている。

そしてそれは結構、自然で力強い。

自分自身にも遅まきながらそうしようと思う。

頑張って、これならどうだ、これなら長続きするかも、と外に目も向けてみた。

けれど今のところはお茶の間と、近所と、読みやすい本と、ラジオ。それから海外ドラマ。と、台所。

その小さな世界の中から外を眺めて「いつか行こう」とぼんやり妄想しているリズムが心地いい。

母や姉に競っていた。行動的な自分になって「へえ」と言わせたいと、どこか、思っていた。

そういうのを全て取っ払って、全ての責任を自分で負うと決めて手放そう。

今更だが私は本来、どんな生物なのだ。

宇宙の、地球の、石のように小さな一つの生き物。その生態は本来、どんなユニークさを持っているんだろう。

特別、図鑑に載るようなすごいものじゃないようだけど、小さな小さな石っころはそれらしく気楽に転がっていればいい。

生まれて、死ぬ。生えて、枯れる。発生して、消滅する。

その時間の中で、自分の意志で自分に合った楽しみを探す。

大人になるって自由で大変。でも自由を上手に操れるようになったら。

操ることすらやめていいのかもしれない。

ただ転がっていればそれでいいように思えてきた。


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