今日は楽しんだか?
帰宅した息子が言う。
いつからだろう。自分が出かけて行くときは「今日も楽しめ」と言い、帰宅すると「今日は楽しんだか」と聞く。
高校くらいまでは悶々としている息子が玄関に立つと
「ま、とにかく楽しめ」
と送り出した。反抗期のカケラをまだお尻に引っ掛けた不安定さと将来への不安、先生への不信感、いつも何かに噛みつきそうだった。
それが大学に入り、自分には合わないと所属している学科を移動する試験を受け合格したあたりから変わった。
「今日も楽しんでくる」。
はいはい頑張って。
この言葉が本人の口から出てくるその変化に安堵しつつ、ああ、自分に言い聞かせているんだと親バカな心は毎朝ほんの少し、切ない気分になった。
就職試験、役員面接をキャンセルしてコロナ中の盲腸の手術、退院直後の本命最終面接、卒業、入社、課長部長との話し合い、社外との取引、契約、もうこの辺から何が起きているのか全くわからない。
ええっ、ええっ。
考え方も発想も行動も私と違いすぎることを知るばかりだった。
「じゃ、行ってくるよ」。
夫の「じゃ、いってきますんで」と同じになった。
「また少し忙しくなりそう」
「大変だね」
「まあ、やることがないよりいいよ」
へえ・・・。
そしてドアを開け、必ず言う。「今日も楽しめ」。
昨夜、一人留守番していた子供に聞くかのように楽しんでいたかと問われ、
「海外ドラマと、読書と漫画、YouTube、からの昼寝」
即答する。
「おぉ、楽しんどるやんけ」
なんだかすごく充実した1日だった気になってくるから不思議だ。