ピーマンを半分に切って、タネを取り出し粉を振る。凹んだところに溶けるチーズを詰めてそれを豚肉で巻いたのを焼き、甘辛ダレで絡めた。
これ絶対、二人が好きだ。
そう思って多少めんどくさいがやってみた。
初め、ピーマンの緑と巻きつけた薄い豚肉しか見えなくて無反応だったのが、口に入れてとろけたチーズが思いがけず入ってくるとやっぱり喜んだ。
「なんだこれ、チーズ入ってる。美味しい」
ふふ。そうだろそうだろ。
どうしてだろう。レンジで簡単に作る青椒肉絲のときだって「うめえ」と言うのに、火を使って料理をしたものが評判がいいと、強く達成感をもつ。
私が専業主婦で食事作りを自分の任務だと思い込んでいるからかもしれない。
バッサリ理屈で割り切れば、二人とも成人した大人なのだから、食べることくらいそれぞれなんとかできるはずだ。それを補助しているくらいの感覚でもいいのかもしれない。毎回毎回ヒットを狙う必要もなく、淡々と味噌汁と白いご飯に魚か肉を用意していればいいのだ。
それでも「わあ」と言われたい。
息子が幼稚園、小学生の頃、一番体調が悪かった。送り出しては横になり、立っていられずキャスターのついた椅子で台所を移動した時もあった。水泳教室もバスに乗っていく英会話教室も、よそはお母さんが一緒についてきて教室の隅に座って見ているのに、一人で行かせた。
こうして思い返すと小さな息子に駆け寄ってやりたい。
肉そぼろを出すと「僕これ好き」と言う。それを聞くたびにチクリと痛む。
「ごめんねえ。こんな簡単なもの、そんなに好きならもっとお弁当に入れてあげればよかったね」
「気にすんな」
とにかく栄養と、当時はポトフ、生姜焼き、カレーにシャケ寿司、オムレツあたりがぐるぐる食卓にのぼった。
喜びそうなものを、楽しくなるものを作ってやろうなどという余裕がなかったのだった。
それは確かに私の通ってきた道のりで、振り返るとそれがあって、今があるから私個人には必要な試練だったと思う。
それでももっともっともっと、たっぷり「お母さん」で包んでやりたかった。
「気にするな、何かやるのにダメと言われたことがない。勉強しろとも言われなかったしな、あれがよかった」
その言葉に甘える。
それでも白菜に豚肉を挟みミルフィーユのように重ねる作業をするのは、あの通過してしまったあそこの部分を埋めようとしているのだ。
先日しんどくて、昼、カップラーメンを机に置いた。
高タンパク、低糖質、と書かれた表示がかろうじてそれを許してもいい気にさせてくれる。
残り物の鶏ハムとトマトを気持ち、添えた。
「おおっ。いいねっ」
明らかに通常の三倍はヒットした。
ガスで料理しようが、レンジで調理しようが、冷凍食品だろうが、カップ麺だろうが、腹を満たす美味しいものであればそれでいいのだ。
さらに言えば、私の手が加わっていようがそうでなかろうが、自分でなんとでもできるのだ。
それでも私はチマチマ台所に今日も立ちたい。