自分に向けてエールを送る

ふみちゃんのこと。

ミュージカルに誘われた。急にチケットが2枚、回ってきたらしい。知り合いからの詳細が書かれたメッセージの画面が添えられている。

『これなんだけど、いかがでしょう』。

そこから、彼女が音信不通の間に、私の知らない交友関係が築かれ、そこでこのようなやりとりが頻繁にあるのだなと感じた。

数年前にも、まだ私たちが定期的に会っておしゃべりしていた頃、急にお芝居に誘われた。

その時も断った。時間が夜なのと、気持ちが乗ってこなかったのと、思い出せない。

そしてまた、とっさに断ってしまったのだった。

高校時代に机を並べた彼女。なんでもかんでも語り合う中ではないが、共有した思い出はたくさんある。

親友というのだろうか。ちょっと違うのかもしれないが、友達の中では特別な方だと勝手に思っている。

私が入院した時、病院に来て足をさすってくれた。

退院した後も、ときどき会って互いの子供のこと、家庭のことを話した。

いつからどこからだろう。何かがずれた。

私が自分に嘘をついてごまかしていたあれこれと対峙する作業に入る直前、苦しくて情緒不安定だった。母が怖く、自分のことを自分で決めることすらできず、自分のことだけで頭がいっぱいだった。

一緒に映画を見ても、食事をしていても、不自然な陽気さで深入りをしない上部だけで落ち着きのない人間だったのではないだろうか。

交流を積極的にとらなくなった。

年賀状の文面に、彼女のよそよそしさを感じるようになる。一度、電話をしてみたが、しらけて長く続かない。

切られた。もう仲良しのポジションじゃないんだな。私は。

ちょっと悲しかったが、仕方ない。私が私を取り戻す方が大事だ。私こそ、彼女より、自分を選んだんだ。

コロナになり、ますます会わない。

友情は消えたのかもしれないと思っていた。

そこに不意にきたラインだった。

きっといつもの仲間達と連絡を取って、誰もが急すぎて都合がつかず、やむを得ず私に声をかけてきたのだ。

それでも何番目かでも思い出し、コンタクトを取ってきてくれたことが嬉しかった。

なのに。断った。

頑張ればいけるかもしれない。ここで行けば距離を埋めることができるかもしれない。また昔の関係が戻るかもしれない。

頑張るか。

舞台となるとトイレの問題もある。

晴れやかな場に出て行くだけのエネルギー。

緊張。

食事。

楽しめるか。

なぜか怖い。

何が怖い。

頑張ればなんとかこなせるかもしれないと考えているうちに自分に言う。

そもそも、頑張ればというあたり、おかしい。

それはやっぱり自分に嘘をついて人に付き合うことになる。陽気で乗りのいい友人を演じる嘘くさい私をまたやろうとするのか。

つまりまだダメなんだ。まだ、準備が整っていない。

電話をした。彼女の声を聞きかたかった。

コロナの注射を三回まででやめていること、体力に自信がないこと、誘ってくれたことが嬉しかったこと、いつかまたおしゃべりしたいことを伝えたかった。

彼女は相変わらずよそよそしいままにも思えた。

ざっくばらんなあの感じはなかった。

いろんなことに落ち込んだ。

会いに行くことができない自分を再認識。いつかまた、誘われたら行く行くと、くったくなく言える自分になりたい。

体力云々よりも、外見よりも、まずは心をしっかり立て直そう。

もうここまでかと、あきらめてかけていたが、まだまだいけるはずだ。良くなれる。

もっと強く。もっと陽気に。もっとあっけらかんと生きたい。

その意識をもって生活するだけでいい。

無理に今日からなにかを大きく変えたり行動をおこさなくていい。

ただ、その意識をもっていればきっとよくなる。

今回のことは、ここまでかと思っていたのを奮い立たせるいいきっかけだったのだ。

そしてこうやって自分の未熟さに直面して落ち込むとき、いつもたどり着くのはここ。

こんな私をそのまま丸ごと必要としてくれる夫と息子。

心の底から大事にしよう。