私の場所

昨日、ラジオ体操に行くと、いつも私が立っている場所に見知らぬ女性が既にいた。

可愛いおばあさんが見えて、居心地のいい木の下の熟年夫婦の右隣。

まさに私と入れ替わるのに違和感のない、同じくらいの年齢。化粧気もないところも同類の中年女性がそこにいた。

え、と思った。正確に言うと、そこ、私の場所なのに。おそらく休んでいる間に、ポッカリ開いた空間を彼女が埋めたのだ。数ヶ月前に私がそうしたように、あ、ここ空いてると入ったのだ。

仕方なく、後ろに下がり、右に寄ったところに落ち着いた。

おばあさんが見えるギリギリのポジションは死守したが、なんだかあの可愛いお婆さんまで彼女に明け渡したような気分になった。

怒りでもない悲しみでもない、けれどしっくりこない。なんとなく面白くない。

誰の場所ってもんじゃないんだ、公園の自由参加のラジオ体操なんだから。

自分をなだめるのだった。

 

先日姉が、会社のデスクがフリーアドレスでどこに座ってもいいことになっていると話した。

「だけどね。もう決まってるの。どこが誰って。だからたまに派遣さんなんかが来て、私の席に座ってると「そこ私の席ですけど」って言うのよね」

本人は笑っていたが私は引っかかった。

「あなたの席じゃないですから。それじゃあ、フリーでもなんでもないじゃない。かわいそうに」

姉は私の場所なのよとふんぞり返って譲らない。席なんかどこでもいいじゃないか。くだらん。内心そう思ったがそこでやめた。

何が違うというのだ。

仕事一日中するための場所にこだわる姉と。こっちはたかだかラジオ体操。

ちっちぇえなあ。私。

どちらかというと割と「なんでもいいや」と反応の鈍い方だと思っていたから、これには自分で驚いた。

この心理はなんなんだろう。

そもそも、やや組織的なところもあるこの集まりに取り込まれず、あくまでもフリーでいたいと思っていたくせになんなんだ、この矛盾は。声をかけられ、顔も知れてこれ以上あまり深入りしたくないと思っているのも本心だというのに、心のどこかで、ちゃっかりサブ会員になったくらいの気でいたのかも知れない。

我ながら笑える。世界はお前を中心に回っているわけではないのだ。馬鹿者。

今朝、夫が6時に家を出ると言うのでその朝食やら見送りやらでまた体操を休んだ。窓に映る自分を相手に一人ラジオ体操。

iPadの中の先生とお姉さんたちともだんだん顔馴染みになってきた。

ここも私の場所だな。ここでもいいや。

一晩経って、さらに1日休んで、もはやあの木の下のポジションは本当にどうでもいいと思えていることにホっとした。