10年前、疲労とストレスと虚弱のトリプルでダウンして以来、薬を飲み続けている。
退院直後からは随分減ったものの、毎朝6種類の錠剤を服用する。これがなかなか億劫で、ある時からカプセルをプラスチックのシートから取り出す作業を前の晩に用意するようになった。
これが2つ、これが3つ、これとこれとこれはひとつづつ。あと忘れてないかな。あ、これもだ。これで全部かな。
薬の中にも順位があって、これは絶対忘れてはいけない物、これはまあビタミン剤だからと扱いが違う。調味料を準備する時などに使うアルミの小さな皿に入れられた粒はいったん、シートから取り出すとどれも似たように見える。
忘れたら洒落にならない物は正しい数入っているか、間違えていないか確認しながらの作業はいちいち面倒臭い。
面倒に思うようになっただけ、体調がいい証拠なのだろう。ありがたみが薄れている。しかしその反面、たとえ朝昼晩の一回でも欠かすと不安でたまらない。
もはや、これによって私の心身の安定は保たれている。
これ、もう一つ作っておこうか。もし明日の晩、眠くてしょうがない時に予備のものがあれば気にせず眠れる。
いい思いつきだと、早速その日、1日に飲む薬の用意を2つ作った。
しかしこのストック分を使うのが勿体無くてどんなに眠くてもこれには手をつけない。いよいよの時にとっておくんだ、もうどうにも眠くて具合が悪くて横になりたい時の非常用に。
ストックがストックの意味を成していない。
じゃあ、これはこれで置いておいて、もう一つ、使ってもいいストックを置いておこう。
妙なことになってきた。アルミの皿が三つ、並ぶ。
ストック、ストックのストック。そして明日の朝実際に飲む分。
しばらくこの思いつきに悦にいっていたが、結局前の晩に翌朝分を用意する作業は変わらないのだ。
愚か者もいい加減、気づく。
このループは危険だ。このままだとストックのストックのストックを作りかねない。
これは貯金が趣味なあまり、生活を楽しんでいない状況と同じかもしれない。
金庫にたんまりお金があればあるほど心が落ち着くと溜め込んで、実際の生活に不自由が及んでいるのと変わりないのでは。
大丈夫。私はもう大丈夫。立ち上がれないほどまでに具合が悪くなったときを想定なんてしなくていい。もしそうなったとしてもその時はその時、なんとでもなる。
転ばぬ先の杖も何本も杖を持っていたら却って歩きづらい。杖は一本でいい。
私の杖はその日の分の薬、それだけ。
大晦日、元旦は余計だった杖を消費した。弾みで晩から用意するのもやめた。
朝、プチ、プチ、プチっとケースから外しているが、今の所なんの問題も起きちゃいない。