味方

サツマイモを蒸して実家の仏壇に持っていく。

同居していた父方の祖母の大好物だった。

中学生から一緒に暮らしたが、明治生まれの厳しい人だった。

厳しく、賢く、負けず嫌いで学歴主義で地位と名誉のある人が大好きな、不器用な人だった。

父を父の姉を、名門校に入学させた賢母だったが、父は大人になっても

「絶対許さない」と言っていた。

父には父の葛藤があったのだろう。

名門校に入れた息子の最後の仕上げに両家の子女を嫁に迎えるべく見合い話を探していたところに、父が母との結婚を決めた。

これ以上自分の人生を乗っ取られてたまるかと思ったのだろう。反抗心もあったのかもしれない。

こう思いを巡らしてみると緩く、私と母との関係と被る。

高卒で嫁いできた母に辛く当たり、当たられた母は認められようと子供の学歴に熱を入れる。上の子はぐんぐん伸びて御三家に入れたが下の娘は身体は弱く、頭もさえない。なんとか引っ張り上げようとするがなにしろ本人にやる気がない。

若かった母の方でも思うように行かない末娘は悩みの種だったはずだが、こっちはこっちで何かを感じながら育つ。

小さな小さな見栄や自尊心に祖母も母も私もきっと姉も父も縛られて生きていたように思う。

私の鬱だったり摂食障害を医師は生き延びるための手段だったと肯定してくれた。

その言葉で救われたが、同時に母を恨んだ。ずっと信じて好かれたくて認めて欲しくて大好きでいた母を憎む自分に苦しんだ。

不器用なもの同士が集まっていただけのことだった。

みんな苦しみを抱えていたのだ。みんな辛さを抱えて引きずっていた。

祖母はどういうわけか勉強のできない方の孫に甘かった。頭のいい他の孫たちには賢いお婆さまでいなくてはならないが、これの前ではその必要もなく、ただのおばあちゃんでいればよかったからかもしれない。

「おサツが蒸けましたよ」

そういってテーブルにドカンと置く。そこから戦時中の話や、女学校時代の話を聞きながら食べるのが私も好きだった。

あるとき、学校で友達に貸していた課題を返してもらえず提出に遅れたことがあった。しかし友人は自分の課題は提出していた。私のものを持ってくるのを忘れたのだった。

それが悔しくて悔しくて、帰宅して母に言おうと思っていたところ、母はいない。それで祖母にこの話をした。

「それは、嫌ですね」

新鮮で、嬉しかった。ただ、嬉しかった。

母だと「そんなもの貸すあなたが馬鹿なんですよ」とまず言われる。まず、娘を嗜め、何があっても誰かを悪くは言わない。そんなことが起きないように次から自分で気をつければいいんです、相手じゃない、自分が悪い。姉もクールに「あんたが悪い」。

そういうもんだったから「それは嫌ですね」の言葉を聞いたとき、味方がここにいたと心が弾んだのを覚えている。

だから仕返しをしようなどとは思わない。けれど一緒になって「そいつは嫌なやつだ」と言ってくれるだけでいい。

それでやっていけるのだ。

母には母の道理とやり方が。父には父の倫理と正義が。姉には姉の美徳が。

それぞれなだけで、どれも間違っていない。たまたま私と祖母は似ていた。

「トンちゃん、おサツはね。細くて筋がいっぱいあるのがいいのよぅ。細い方がキュッと甘味が詰まってて」

今の時代は技術の進歩で太くて美味しいサツマイモはたくさんある。焼き芋にするのには太いものに限る。

けれどつい、店頭で細いものを探してしまう。立派でツヤツヤしたものの横に数本、袋に入れて安くなっているのを見かけると買ってしまう。

おばあちゃん、ありましたぜ。細い、筋っぽいの。

蒸したものを「おサツ仲間」にお供えし、一人、食べる。