夕飯前、30分だけと決めて第二の沼と化している整理棚を仕分けした。
今は息子の部屋となっているが、彼が生まれる前、この家に越してきた当初は婚礼ダンスが置いてあるだけの部屋だった。
窓と箪笥の間に50センチほどのスペースができたのでそこにプラスチック製の引き出しを重ねた棚を入れた。
そこに自分のお気に入りの便箋だの、もらった年賀状だのを放り込んでいたがほぼ、空っぽだった。
息子が幼稚園になるとこの部屋に彼専用のベッドが入る。スカスカだった引き出しには学校やサッカークラブの役員のファイル、住所録、CDROM、文房具、現像されてきた写真などを入れた。
とにかく大事なものを突っ込む場所として便利に使っていたが、やがて学校役員のお役目もなくなり、息子が思春期になると同時にこの部屋への出入りもしなくなった。
季節の入れ替えや背広を出したりで入る時もあるが、長居をするのを遠慮してすぐ退出する。この引き出しの中身を見直すこともなく、ほとんど凍結状態になっていたのだった。
当時の私が大事と思っていたけれど今の生活で使っていないのだから不要なものしかない。
ほぼ全部捨てていいはずだ。
写真だけは残してあとは全部考えずに処分。だからすぐ終わるはず。そう心に決め、二階に上がっていく。
部屋の主は出社していない。ドアを開けるともうそこは独身男の仕事部屋になっていた。
さっとやってさっと出よう。
目的の引き出しを開ける。
その昔自分が四苦八苦しながら作ったパンフレットや会計報告書が挟まったファイルの束が出てきた。
役員が終わってすぐ捨てなかったのは、自分が頑張ったのだという何かを残しておきたかったのだろう。
それらをごそっと紙袋に入れる。
使わなくなったルーズリーフ、使いかけのノートは避けて箱に入れた。これは一階でメモ書きに使おう。
息子が喜ぶだろうと取っておいたシール、スタンプ、綺麗な折り紙、はがき。これも一階。
もっと事務的にさっさと処分して終わると思っていたが、結構想定外のものが出てきてそのたびに頭を回転させる。
これはいる。いらない。いらない、いらない、いらない、いる、とっとく、いらない、いらない。
夫が結婚式の二次会用に書いた私宛の手紙が出てきた。
恥ずかしくなるので読まない。内容は覚えている。ふふ。これはいいもの見つけた。何かの武器になる。
これはなんだろう。
薄い藁半紙が半分に折り畳まれて一番下から出てきた。
幼い息子の字だった。
「お母さんへ。ごめんなさい。もうしません、ちゃんとします。だからここをあけてください」
まったく覚えがない。ここをあけてください、というのは私が何かに怒って部屋に閉じこもったからだろう。怒ると衝動で声を荒げそうになると一旦距離を置こうとトイレや部屋に篭った。
息子は暴れてやがて泣く。それが落ち着くのと自分が落ち着くのとをじっと待つ。そばにいるとひどいことを言いそうで離れた。
きっとその喧嘩の終わりをこんな形で彼の方で作ってくれたのだろう。
ひどい親だ。
ひらがなだらけの文字が私に迫る。もっとおおらかなお母さんのやり方があったろうに。
未熟な母親であった事実を突きつけられた。
これも取っておこう。
こんな私を許してくれながら親子を続けてくれたのだ。息子に感謝する。
それを見守り暮らしてくれた夫にも。
一人反省会。しばらく手がとまった。
出社している男たち。彼らを全力で支えていこう。
この気持ちをお返しするのには、それしかない。