余計なお世話

夫と二人でテレビでお笑い漫才を観ていた。

暮れになると毎年開催される、かつてグランプリに輝いたベテラン勢が集まって漫才を披露する番組だ。

ご意見番としてそれをビートたけしが見ている。

順位も点数もつかないがきっと芸人達張り詰めているだろう。

博多華丸・大吉さんが好きな私は内心、気が気じゃない。彼らを好きになり始めた頃は、出てきた出てきたと楽しみにして画面に寄った。

しかし、好きになりすぎて客観視できなくなっている。

毎朝テレビに出て、それぞれのラジオ番組もあって、舞台もやり、バラエティ番組にも出ている。その上地元福岡でもレギュラーを続け、新しいネタを作る時間なんてあるんだろうか。でもこの日、定番のものをその場凌ぎでやるわけにはいかない。なにしろ御大、たけしさんが見ているのだ。それに、彼らはビートたけしに気に入られている。気に入られているってことは期待されている。大丈夫か、あの忙しさで。たけしさんがどう反応しようとこの二人が好きなことに変わりはないが。お気に入りの座をキープできるだろうか。

去年はパッとしなかった。ああ、昔のネタをくっつけてちょっと変えて使ったんだな。しょうがないよねぇ忙しいもん。

しかし翌日、母から大吉さん達の漫才を新聞のコラムが暖かくて優しい漫才だと褒めていたと聞きホッとする。

もはや、周りが彼らをどう評価するかが気になる。学芸会で自分の子供が登場するのを見守る時だってこんな気分にはならなかった。

大吉さん達が出てくるまでに面白い漫才があると不安が増す。

ああ、やっぱり毎日お客さんの前でやっている人達は磨かれている。

そこに舞台裏で自分達の番を待つ出演者が映る。

普段茶目っ気たっぷりの華丸さんの硬い表情、画面の演者を眺めながら苦笑いの大吉さん。

苦笑いしてる。私と同じことを思っているのかもしれない。ああ、今日は負けちゃったな、って、そう思ってるのか。

「始まるよ」

私が好きなのを知っている夫がわざわざ言う。

「心配だなあ」

あんまり期待しないでねという意味も込めて言う。今、彼ら忙しいから間に合わせで演るかも知れないけどとまでは言わなかったが、そこを汲んでほしい。まったくどこから目線じゃ。

正直、抜群に面白いってわけではなかったが、彼ら独特の穏やかでセンスの良い、品のいい漫才だった。

安定している。さすがだ。

しかし、これをみんながどう思うか。特に御大は。

「彼ら最後のあれ、遊んだね」

喋りではなく、こちょこちょくすぐり合う二人の姿がおかしくて観客は笑った。そこを言っている。

話芸ではなく、安易な笑いで誤魔化したということか。実は私はそう思った。クスッとした可笑しみが彼らの持ち味で好きなのに、あんなやり方で場を沸かせる展開は意外だった。御大もそれに少しがっかりしたのではないか。そうも見え、私もシュンとする。

いやいや、あれだけ忙しくしているのはたけしさんだって十分承知のはず。その上でこの安定感。遊び心も入ってさすがのベテラン。そういう評価かもしれない。

二人の登場が終わるとドッと疲れた。

親戚でもマネージャーでもないのに。

「寝ます。おやすみなさい」

「いいの、この後、トンさんの好きなやすともさん、でるよ」

じゃ、それだけ見て・・。

彼女達も安定だった。聞いたことあるネタと世間話で盛り上げていた。

姉妹の彼女達の舞台裏は楽しそうに戯れていた。

まるで縁日に来ている少女のようだ。

そうだそうだ。これはお祭りで腕比べじゃないんだった。

お祭りお祭り。

安心してヘラヘラ眠りについた。