雨のお茶会

公園でお茶に呼ばれた。

ラジオ体操の雨の日。お年寄りが中心の集まりだからか極端に人数が減る。その中でもガッツのあるメンバーと役員なのか当番なのかラジオを持ってくる係の人が数名、屋根のある小学校の教室くらいの休憩所にやってくる。

私はまったくの部外者のくせに、そこにしれっと参加して帰ってゆく。

ラジオ体操に行き始めてまだ4ヶ月程度だ。内心、ずっと続けようと思いつつその反面、いつまで続くかいつやめてもいいんだぞと自分に言い聞かせている。

だからできるだけそこは自由で無責任な場所にしておこうと意識的に存在を薄くしてきた。

良いところでもあり、軽率なところでもあるのだが、私はつい、人に懐く。

人類皆お友達と、どこかで呑気に信じている。

最近になってそれは相手にとって鬱陶しいこともあり、どんなに努力しても合わない人もいるということがわかってきた。

そして『皆お友達』を本気でやるとしたら完全に自己開示をできるだけのおおらかさと覚悟が要り、自分はまだそこまでの域には達していないことも。

遠くからそっと交わって、薄く自分の居場所があって、そっと去る。薄い顔馴染み。それが心地よいラジ体操。

だったのだ。が。

先日の雨の日、いつものように小さな集まりでの体操が終わり、さ、帰ろうとした時、長老がポットを取り出した。

指で私を指し、周囲のおじさん達にお茶を振る舞う。すると取り囲んでいたおじさん一人が私に声をかけた。

「あんたもお茶してきなさいってよ」

見ると小さな紙コップをたくさん持ってきている。指を刺していたのは「あの若造も仲間に入れてやれ」ということだったようだ。

有無も言わせぬ何かを感じ、座に加わった。

「俺は酒はやらないからお茶はいいのを飲むんだ」

確かに長老の持ってきたお茶は甘く、深く、こっくりしていた。何より雨で冷えた体の中心を流れていくとほっこりする。

それから長老の話が始まった。

小学生の頃から、戦時中、病弱で戦争には行かなかったが東京に若い男がいることも苦痛だったこと、それから中学、高校、成績が良く、高校時代は新宿伊勢丹前でよく遊んだこと、進駐軍と英語で喋り伊勢丹の店員に通訳してやったこともある・・。

周囲は神妙にその話を聞いている。私も一歩下がったところで黙って拝聴する。

その時代の新宿伊勢丹といえば、母方の実家が店を出店していた。亡き祖父から店を引き継いだ祖母はとにかく働いた。趣味の店で進駐軍のおかげでいつも売上一番だったとよく自慢していた。

祖母は英語はできない。もしかしたらその通訳をしてやった相手は私の祖母かもしれない。

などと頭の中では興奮しているが、ここで迂闊に発言してはいけないと本能が私を止める。

長い公聴会が終わり、解散となった。

私はここでは「そこあんた」でいたいのだ。

雨、再びの今朝。

今日は特別人数が少なかった。

長老は第二体操のラスト、深呼吸のところで現れた。やはりポットを入れたカゴを持っている。

今日は帰るぞ。チラッと見ながら心を決める。

参加したりしなかったり、あいつはなんなんだ。それでいたい。

薄い無責任な存在を維持しようと、体操が終わるとそそくさと上着を着る。

「お茶だってよ」

「すみません、今日は平日で家族の朝ごはん、作るので帰ります」

にっこり大きな声で、でもはっきりと屈託なく答えた。

「朝ごはん作らなくちゃならないんだって」

「ああ、そう。じゃ、またな」

「ありがとうございます。お先に失礼します」

そこに、いつもラジを持ってくる係で、挨拶程度は普段から交わしているおじさんが満面の笑みで寄ってきた。

「あのね、いつも聞こうと思っているんだけどね忘れちゃって」

なんだろう。

「あなたのお名前、なんておっしゃるの」

う。

観念し、本名の苗字を言った。

ここで偽名を言うほどの度胸もないし、その意味もない。

ああそうですか。よろしくお願いします。私はイチキと申します。

それからイチキさんは私の苗字を何回が繰り返し、覚えようとしていた。

私の苗字、できれば忘れてほしい。でもこうなったら仕方がない。自然の流れに任せてみよう。

このままつかず離れずの若造でいられるかもしれないし、存外、緩くつながっていくのかもしれない。

あまり深く意識せず、私は私。どこにいても、私は私に違いない。