明け方3時半、夫がベッドにいない。
もしや。
階段を降りると案の定、煌々と灯りがついた部屋で前のめりで夫がサッカーの試合を観ていた。
夕食後からずっとここにいて、一睡もせずに試合を観て、この人は今日の仕事に響くとか考えない。
私など、たかだかラジオ体操に行くがために9時半には布団に入らないとと、夫息子二人の帰宅も待たず寝るというのに。
ラグビー部だった彼は自分の体力もその時のままだと思っている。
眩しいのと、ムッとしたのとが混じり合った形相がよほど恐ろしかったのか、ドアを開けじっと見つめただけでサッと立ち上がり、ごめんごめんごめん、すぐ寝ると苦笑いし腰を上げた。
妻は静かにリモコンを取り上げ、テレビの電源を切る。それから何も言わず洗濯機をセットし、そのまままた二階に戻った。
いつからだろう。
夫のこういう自分の理解を超えた行動がそれほど気にならなくなったのは。
内緒で千葉までドライブに行き、事故を起こすというのはちょと情けなくて泣いた。
嘘をつかれるのが一番堪える。多分、いい加減にあしらえると軽く扱われたと思うからだろう。
安心しきっていた足元を掬われた衝撃で深く傷つく。
しかし私の考える常識や気遣いが正しいのかと言えばきっとそうではないのだ。
彼と私の常識は、二つの円の中心に大きく重なるところがあって、そこからはみ出た部分は対照的に違う。
中心の部分には、金銭感覚、子育て、目指す家庭の空気感、不倫とかギャンブルとか覚醒剤とかへの価値観なんかが入る。
はみ出たところは趣味、政治、体内のリズム、好きなテレビ番組、音楽、暑がり寒がり、照れ屋かそうでないか。
実生活では、互いにはみ出た部分の中で行動するのでほとんど混じり合わない。
同じ家の中にいて、中心で固定されつつ相手のやっていることにそう深入りもしないで眺め、時々思い出したように一緒にどこかへ行く。
婚約していた頃、共通の友人が私たちのことを兄妹みたいだと笑った。
二人に恋人の気配がないというのだ。
あれから30年近く。
明け方起きてみたら兄が夜更けからサッカーに夢中で、年齢も明日の仕事も顧みず夜通し起きていた。
妹は憮然とし、恐ろしい形相で洗濯機を回す。