昨日はほぼ一日、IKEAの椅子の上とホットカーペットの上で過ごした。
熱もないし頭痛もないが、身体の芯の何かがしんどがっている。
夜はサッカーの試合でみんな食事は上の空だろうから、カレーにすると決めていた。
喜ばそうとかせっかく一生懸命作ったのにと思ったりしないよう、変に力を入れない。
平和が一番。
二種類のカレーのルーを入れるといいというので、それをやってみる。
いつものバーモントの刺激の少ないものに比べ、少しスパイシーでピリッとする。
辛い。うちにしては辛い。
牛乳、コーンポタージュの粉を入れ、少しソースを入れ、混ぜる。
辛味は落ち着きこっくりとした味にはなったが、これでは何のために二種類入れたのかあまり意味がない。
まあいいか。スパイスの数が増えた分、きっと何かが違うはずだ。これ以上いじるのはよそう。
そこからずっとゴロゴロゴロゴロ。
日向でずっと本を読んでいた。
途中、息子が降りてきて出かける前のあれこれを話しかけてくる。
不動産屋さんがやっている動画で、家を借りるときのチェックするポイントを解説するのがあるそうだ。
「風呂場で一回、水を流させてもらうんだってさ、排水溝の詰まりとか歪みって結構あるらしい」
エアコンは大家個人のものか、それとも前の人が置いて行ったものかも確認しないといけない。それによってメンテナンス費用も変わってくる、床のフローリングは。。
どれもこれも私が新婚の部屋を探す時に見逃したことばかりだ。何事もなく切り抜けてきたなあ。いい大家さんでよかったなあと思いながら、聞く。
新婚でいかにも世間知らずの私を大家さんは心配だったのか、ちょくちょく顔を出してくれた。
「何か困っていること、ない?」
その度に買い物はどこがいいとか、近くの公園でお祭りをやるとか教えてくれた。
顔も覚えていないのに、いい人だったなあと暖かさは不思議と残っている。
記憶ってその時何があったか、という現実より、その時どんな気持ちでいたかで形成されるのかもしれない。
母との間での辛かったことも、幼かった私の受け取り方が違ったらこんなにも私に付きまとわなかった。
真意はどこにあったかよりも、どう感じたかってことなのだな。
子供の私に母の抱える葛藤も意地も見栄も未熟さも見抜けるわけがない。
お母さんは世界中で一番正しい人。ずっとずっとそう思っていた。成人してもそう思っていた私自身も相当未熟。
さんざんどうでもいい話をしてから息子は出かけて行った。
夫も出ている。一人、日向に寝転び、本の続きを読む。
カレーの匂いのする部屋で一人本を読む。
音のない部屋、窓からの日光、面白い本。
ときめくほどの高揚感ではないけれど、全てがそれでいいと思えた。
こんな日曜日は記憶に残る気がする。