ラジオでは御節の予約販売が始まり、コンビニの入り口脇には年賀状が、100円ショップの入り口にはクリスマスの飾り付けグッズが、そしてスーパーの一角にはボジョレーヌーボを意識したチーズやチルドピザ、また一角にはクリスマスのお菓子、そしてエスカレーターの裏にはそっと、鏡餅が。
始まった。暮れのあの、沸き立つような煽るようなソワソワ忙しないあのかんじ。
きっともうじきお歳暮のカタログが届く。テレビでは大掃除の極意を紹介し、お正月の準備に手軽に出来る煮豚や栗きんとんの紹介をするのだ。
今年こそ飲み込まれないぞと、気負う。
毎年毎年、気負う。そして見事、飲み込まれる。
日本人として、母として全くの素通りは不真面目というか、怠惰でだらしないというか、例えるなら下着を取り替えない気持ち悪さのようなものが私を襲う。
身体を壊してからは、生きていることが奇跡なんだから頑張らないと心に決めても、12月のカレンダーになった頃から落ち着きを失う。
そうは言ってもと、息子が好きだからといい格好したくて伊達巻を焼き、栗きんとんと、黒豆くらいは、お雑煮、年越しそば、天ぷら、そうだお年賀、と体裁を整えようとする。
台所で湯気を立ててる姿をを家族に見せ、自己満足するだけのためにやっている。
今年こそ。
やりたいことだけを、やろう。
疲れ果ててぐったりと正月を迎えない。
キチンと片付いて整った食卓で疲れ果て、些細なことにも傷ついたり悲しくなったり不機嫌になる年の瀬より、ガハハと笑いながら新しい年を迎えてみせる。
しんみりしない。
おセンチにならない。
素敵な主婦はあきらめた。
母に呆れられ、やんわり小言を言われ、でへへ。どうもすみませんねえと笑うのだ。
生きて、存在していることでよし!
あれ、なんだか楽しくなってきた。