朝の散歩、朝の決まったラジオ番組、海外ドラマ、好きな噺家さんのラジオ、その人の書いた本、その人のYouTube、その人の特集記事、好きなピアニスト、好きなミュージカル俳優、彼らに関するYouTubeとテレビ番組。そして、ドトール。。
だいぶ、ストックができてきた。
私を落ち着かせてくれる世界たち。調子が悪い時でもこの中のどれか一つくらいは時間をワープさせてくれる。
数年前、ドトールが唯一の拠り所だった。
そこに逃げ込むように毎日通った。たくさん本を持ち込み、2時間から3時間、居座って過ごした。
それしか息継ぎの仕方がなかったのだ。雨だろうと寒かろうと、行かないと行かないとと落ち着かない。
いつも満たされなく、何かが悲しく、不安で、混乱していた。
ドラマもテレビも何にも面白くない。お笑いもおかしくない。人と接するのが煩わしい。
実は自分だけ違う星の生物なのではなかろうか半ば本気で考えた。
そのくせドトールに行って人混みの中でひっそり座っていたがる。心の底では寂しかったのかも知れない。
あの頃は、誰かに優しくぎゅうっと包まれたいと、守ってくれる存在を求めていた。
それを察しない夫にがっかりしたりしていたが、随分な甘ったれだ。
結局、人は自分の物語を自分で彩る。
自分の機嫌も自分で取る。
いい娘、できた妻、優しい母でなくてももういいや。
息子が大人になったと思える瞬間を見ることが増えた頃、そう思うようになった。
みんな、勝手に生きてくれ。私も機嫌良くやるからさ。
家族揃ってのパーティの準備も、母との接し方もいい子ちゃんを取っ払ったら、それまで隠していた本当の怠け者で呑気な自分が待ってましたと出てきた。
カッコつけない、評価を考えないってこんなに心が軽いのか。
今の私は毒も吐き、怒り、笑う。
依存する先を分散して持っているのは依存じゃないですよ。
そう言ってくれた先生の言葉の意味が最近わかってきた。
依存先を選びながら自分をうまいことあやして生活のあれこれをやっていく。
どっぷりハマる趣味がなくても、なんとかやれそう。
なんとかやれそうだと思えるようになってきたことが嬉しい。