眉毛の下の産毛を剃った。
誰に会うわけでもないし、そんなにボウボウでもないし。
ほったらかしの私の顔は無法地帯だ。そこをちょっと手入れしてみようかという気になった。
以前にも書いたが長い鬱の時代、服も髪も歯も肌も表情もどうでもよかった。
ただ、起きて、やるべき事をし、食べて、寝る。
生きることに必要最低限の中で完結していた。
不思議なことにあのときはそれはそれで、安定していた。
無意識のうちにそうやって再生をはかっていたのか、壊れそうな自分を守っていたのかわからないが、引きこもっても生き続けたということは、なんらかの意味はあったのだと思う。
あれがあったから今の自分が生まれた。
眉の下をスッキリさせただけで鏡に映った顔が晴れやかに見えた。
いろいろしくじり、あちこち不具合もあり、失ってしまったものはたくさんある。
美人でもない。シミもシワもある。そんなこの顔が最近、好きだ。
理屈や理論じゃ説明できないことってあるんだな。
なんのために生まれ、なんのために生きるのか。
そんなのわかんないよ。
ただ、いろんな形の愛を感じて反応して変化していく。
あっちに転びこっちにぶつかり、角が取れてこだわりも意地もどっかに砕けて飛んでいく。
公園で見かけるお年寄りがみんなキラキラ光って見えるのは、純度が高いからかもしれないな。