昨日は好きなタレント漬けだった。
午前中、家事をしながらその人がパーソナリティをするラジオを聴いていた。
番組が終わると今度はその人の過去の番組の録音を、家事が済み昼食時にはradikoでさっきのをもう一度、午後はその人の書いた本とその人を追いかけた特集号の雑誌を読み、さらに夕方にはYouTubeで過去の作品を見続けた。
つかみどころがなく、懐は深く、ふざけているのに賢く、口は悪いのに優しく、下世話な話をするくせに下品でない。
この人をもっと知りたい。
それでほぼ一日中、彼を追いかけた。
今朝起きても、脳内でその人の声が再生される。
これは近づきすぎた。
私は誰か作家でもタレントでも、好きだと思うとその人の人柄を知りたくなってしまう。
その人のインタビュー、書いた物、動画を探して人物像を探る。
どんな素敵な人でも、あんまり近くによると、皮肉屋だったり浮かれていたりするところが見えてくる。
勝手にこんな人と思っていた所からはみ出した面を見ることになる。
相手は生身の人間だから当然のことだ。人は成長もするし体調にも左右される。たった1コマのそこだけ切り取って決めつけられたらたまったもんじゃない。
呑気に暮らす自分だってそうなのだから、忙しい売れっ子にいつでもご機嫌絶好調は無理な話だ。
それでもがっかりしてしまう。
勝手に作り上げたイメージ像を壊したくない。
きっとこんな人なんだろうなあと、夢を残しておきたい。
だからある程度追ったら距離を置く。
この人に触れたら穏やかでいい気分になる、という特効薬も多すぎると耐性ができてしまう。
もっともっとと思うのを焦らし、他のことに気を散らす。
そしてまたその世界に戻って浸る。ああやっぱりいいなあ、この人。となるのだ。
そう考えると夫は常備薬かもしれない。
効いているのかいないのかわからないが、なんか飲んでると体調が落ち着くいつもの薬。
ときどきこんなの飲んでて意味あるのかなあと、うんざりしてしまうけど、やはり必要。
特効薬は時々入れ替わる。
朝、ただ、光が嬉しい。