いつも思うことだけど。
神様って、どうしてこんなに、同じじゃない素敵なものを次から次へと作れたのだろう。
すべて全部同じものはどこにもない。
赤いチューリップ、黄色のチューリップと括っていた。
これは花、これは動物、犬、猫。柴犬とチワワ。カラスとスズメ。象にクジラに猿に牛。
動物と人間。
そもそもその分類も人間があとから区切ったものだもんなぁ。
人間の種類も。人種なんて言い出したらキリがないのに。
どうしていちいち、比べたり同じになろうとしたりしたんだろう。
地球に私と同じ分類の生命体は存在するけど、見事に全部、微妙に違う。
日本人の女、男、年齢、生まれた土地、家族構成、細胞や骨格、臓器の大きさ、血流の速度、DNA。
子育てをしていたとき、自分が影響されやすい恐れから育児本は一冊だけにしておいた。
うちのあの子の取り扱い説明書はどこにも売っていない。
そう思ったからだったが、どうしてあのとき、私自身のことに思いがいかなかったのか。
我ながら馬鹿だなあと思う。
必死になって自分の取説を探して何度も本屋に行った。どこかにあると信じていたのだ。
見つめていた世界は、ほんの、ほんの一握り。
宇宙から見ればミクロの世界。
星があって地球があってそこに生き物がいて、人間もいて、土地を区切って文化が違って家庭が生まれて家庭ごとにも文化が違って。
その上、個々の生命体が細胞レベルで違うんだもの。
どれも、完璧で素敵につくられた。
どこにも、間違った存在なんて、ない。
でも、それじゃあさびしいから、神様は同じものを埋め込んだのかもしれない。
意味もなく不安になったり
悲しみに襲われたりするあの感覚
美しいものをみて安らぐ感じ
愛するよろこび
自分を愛する落ち着き
同じ感覚センサーがある私たちはときどき、手を繋いだり肩を抱き合ったりして励ます。
守ってやりたいと思う。
寄り添いたいと思うのかもしれない。