及ばずながら

最近、二人がおかずを残す。

量が多い。食欲がない。と言いつつもしっかり柿の種とアイスクリームの残骸はゴミ箱に入っている。

悪いと思ってはいるようで「これ、あとで食べるから」「これ、残しておける?」と、一応は言うが、料理した人を怒らせないようにしておこうという雰囲気がありありと伝わってくる。

食べたくないと言うものを無理やり食べさせてもこちらも虚しい。

「いいよ」とは答えるが、それが続くと結構凹む。

朝は朝で急いでいるからと、残す。が、そのくせ、味噌汁と納豆、もしくは生卵、トマトくらいにしておけば「え、これだけ?」と言うのだ。

実際食べるのは味噌汁と、納豆もしくは生卵だけのくせに。

くっそう。

二人とも疲れているのだ。

息子は来年度からグループ会社全体で一つのビルにまとまることになり、勤務地が変わる。それが気に入らない。

今のほうがカッコいい場所だと思っているようだ。

相変わらず、先輩は無理難題を押し付けて失敗をそれとなくなすりつけてくる・・あくまでも彼の言い分だが、ときどき漏らしてうんざりしている。実際のところはどうか知らないが、やってらんねぇと思いながらこなしている。

夫は夫で時間に追われた仕事が毎日毎日山のように湧いてくる。昼ごはんも降りてこず、部屋にこもって握り飯。持っていかねば、抜いてしまう勢いだ。こちらもこちらで、無理難題は日常茶飯事のようで、ときどき闘っている尖った声が聞こえてくる。

夕飯くらい、のんびりまったり好きなのを食べたいぜ、食後にアイスをたべたいぜ。柿の種とノンアルコールビールでやりたいぜ。

といったところなのだろう。

なのだろう・・が。

私は私で、肉がつづいたから魚・・・野菜も・・・あ、生協さんが来る前に冷凍庫、スペース作っておきたい・・・食欲ないならクリーム煮ならいけるかなぁ。。などと、料理下手なりに考えているので、それがざっくり残されると、面白くない。

料理研究家のようにささっと作れて、いろんなバリエーションをもっていれば、うまく対応もできるからこんなことにはならないと想像する。

いっそのこと、毎日スーパーでお寿司でもなんでも買ってきてもらいたいと思うが、なにしろそれすら時間がないのだ、彼らは。

今朝も、息子が残した。あえて一切れにしといたカボチャの煮物と、あえて一つだけにしといた肉団子と、みかんをそっと流し脇に運ぶ。食べたのは卵かけご飯と味噌汁。

「あ、残しやがった」

責められたと感じたのか、眉間に皺をよせ、朝から食欲がわかない、このカボチャ、水分なくて飲み込みにくい、時間がないと睨まれた。

10時始業で9時過ぎに起きておきながら時間がないだと。

一瞬、沈黙。空気が悪くなったので庭に出て芝刈りをはじめた。

その間に息子は階段を上がっていった。

バームクーヘンやウィンナーだったら朝でも山ほど食べるくせに。ご飯のあとにどら焼きだって食べるくせに。おもしろくない。

立ち上がり、残されたカボチャとタッパーにあるカボチャを足して潰し、コロッケにした。

ふふ。これでどうだ。昼に黙って出してやろう。

今夜はもう知るものか。

レンジ、簡単、豚ひき肉・・・残される前提で日持ち、作り置き・・・検索。

レンジで麻婆豆腐。山本ゆりさん。これや。

材料測って、まぜて、チン。もいちど調味料と豆腐を混ぜ入れてチン。完成。

あとは鶏がらスープの素を使って白菜と卵の中華スープでいいや。

残すなら残せ。

でも多分今夜は残さない。麻婆丼は好物だし。味付けはお墨付きだし。

 

手間ひまかからない、頭もつかわない、疲れない、となると思い入れもそうないからダメージも少ない。

あれこれ家族の体調を考えるのも、自分のキャパを超えていたのかもしれない。

家庭の平和は働く二人が接する社会の平和とつながっている。つまり日本経済の平和。いきつくところは日本の平和、世界の平和。

ゆり先生。私は今日、あなたのお力を借り、小さく小さく世界平和に貢献いたしました。