世界の人口は11月には80億になるらしい。そのうち日本人が1億2,322万3,561人。
2020年10月1日現在の50歳以上の女性人口は概算で3249万人
ざっくり考えても3千249万通りの生き方があるはずだ。
日本の女性だけでも。
似たような環境はあるかもしれないが、生まれ育ってきた家族、学校、友達、貧富、経験、影響された物事、健康状態、DNA、これら全て含めて似ている人なんてそういないんじゃないだろうか。
同じ小学校だって、誰が担任だったか部活はなにだったか、塾の先生、兄弟姉妹の性格、など、その子を取り巻くもので、進む方向は分かれるはずだ。
同じ時代を過ごしたとしても、どんな夕方を、どんな食卓を、どんなテレビを習い事を。
どんな言葉をかけられどう反応したか。
そのいくつものいくつもの、小さな道の分かれ道を瞬間瞬間繰り返し積み重ね、今の私が出来上がっている。
あの人だって、この人だって。
それなのに私は誰と同じであろうとしてるの。
自分と似たような感じの人をみつけて安心しようとしてるのはなんで。
似てると思ったとしても、近づけば違う。当たり前だ。
なーんだなんだ。
私は人に比べてできないことたくさんあるけど、そうなるべくしてそうなったんだし、そうなるように生まれついているし、そして、それなりに頑張っている。
・・・あ。ちょっとそれは語弊があるかな。
今は頑張っているけど、怠けてた時代も軽薄に過ごした時期もあったから、あまり威張ることはできないか。
けど。
今はそれなりにできることを、できる範囲でやっている。
過ぎた時期はもういい。
未来も過去も頭の中で空想しているだけの世界で、ここには存在していない。
あるのは今、ここの私だけ。
やっぱり行き着くところは、今この一瞬を、だれとも比べず、自分なりに楽しむ、だ。
迷わず自分でいよう。
ってことが、半日だらだらのんびりしていたら浮かんできた。
あー、少しすっきりした。
休憩ってだいじだなあ。