イヤフォンのゴムを落とした。
耳に直接つけるあの、ゴムのところだけ、無くしてしまった。
歩きながら取り付けたら、なにか違和感がある。位置が悪いのかとグリグリ耳に差し込み安定させようとして、きがついたのだった。
家でケースから取り出すときは確かにくっついていた。
どこで落としたのだろう。
来た道をもどって探してみたがみつからない。
ラジオ体操に遅れてしまう。もういいやと諦めた。
紛失したのはBluetoothの左側だけなので右だけを耳に突っ込み歩くが、なんとなくおちつかない。それでもお気に入りのラジオ番組を聴きたいのでしかたなくそれで歩いた。
この家の前で、このコーナー。この花壇の前でこのCM。このケーキ屋さんのところでこのエンディング音楽。そして、この人の陽気で優しい語り口。
それが私の朝を支えているのだ。
ところが、今度は右側のイヤフォンまでブツっと途切れた。
左右同時に装着していなかったからか、左側の不具合が原因かわからないが、電源をいれなおしても反応しない。
今度はイヤフォンを両方ポッケにつっこみ、アイフォンを手に、ラジオをつけながら歩く。
どこまでも、ラジオにこだわる。
朝の通りは人がいない。たまにすれ違う人はたいてい走りながらその人自身もイヤフォンをしているから私のラジオなんか聞こえていない。
お年寄りのご夫婦の散歩に遭遇すると、そこを通過する時だけ音量を下げる。
振り向いて、誰もいないのを確認し、また音量を上げる。
どんだけラジオが好きなんだ。
それにしてもあのゴムの部分、困ったなあ。
私は耳の穴がかなり小さいのか、なかなかピタッと合うものがない。
やっとみつけたあのゴム。
スペアはいくつかあるからそれほど大事だと思ってもいなかったが、あれほど相性のいいものはそうないのだったと、改めて思う。
失って気が付くその大切さ。
ううむ。
夫もそうだわ。雑にあつかっているが、あの人こそこんな不器用な私にピタリと寄り添ってくれる人はいないのだ。
もっとやさしくしよう。そこにいるのが当たり前ってわけじゃない。
家に戻ってカゴの中からスペアを取り出し、つけてみたが、やっぱり違和感がある。
ううむ。やはりかけがえのないものだった・・・。
夫よ、もっともっと大事にするからな。もう、おにぎり作るのをめんどくさがったりしない。
そこに夫が起きて降りてきた。
おはよう。
おはよう。
いつものぶっきらぼうな声に若干、笑顔が加わる。
妻のその微妙な変化にまったく反応しない彼はいつものように新聞をとりに出て行った。
もどってくるなり
「トンさん、なんかこれ、ゴミ?落ちてたんだけど」
それはまさしく私の左側のゴムであった。
「あぁ!これ!ありがとっ。探してたんだよぅ。」
「あ、そうなの、なんか玄関の前に落ちてたから」
妻のいつにないハイテンションに自分のお手柄を感じ取った夫は「とうさん、でかした」と嬉しそうに笑った。
かけがえのないもの。
大切にせねば。