そういうことだった

言葉に振り回されることはナンセンスである。そう書いてある本を読んだ。

感情によって口から出てくるそれは、意外と無責任なことがある。とくに目上や尊敬する人、憧れている人の言葉は絶対正しいといった前提で受け取っている人こそ振り回される。

先生だろうが作家だろうが感情に振り回されながら発言している。真実と責任から遠く離れた不安定で不確かな一言にいつまでも縛られて苦しむ人も多い。

批判や攻撃の発言のその裏には嫉妬や虚栄心が少なからず隠れている。

親だってそうだという。

むしろ家庭内では甘えと油断とで社会から離れてガードを外す。それが家庭の居心地の良さとも言えるが、疲れていたりストレスがある場合、誰か弱いものを攻撃したり馬鹿にすることで自分を保つ人もいる。そしてこれはかなりの数、存在している。

存在しているが当事者、する方もされる方も気がついていない。

仕組みがわかった。

アレはコレだったか。

母自身、自分に自信がなかった。認められたかった。姑に。

早くに父を亡くし高卒で仕事について弟たちの面倒を見ながら家事をした。

外で祖母が働き、母は家を守ってた助けたのだ。

しかし結婚した相手の母親は息子の嫁が高卒だということが嫌だった。

そのことで馬鹿にされた。

姑も義姉も夫も、その周辺も高学歴だから、しんどかったろう。

じっと評価されている子育て。子供の成績で証明してみせたかった。

出来のいい姉は母の武器になったがその私は足を引っ張った。

身体も弱ければ頭も悪い。そのくせ上の子と違って言うことをきかない。

手擦り苛つく。

あの子は。

あなたは予定と違うとよく言われた。

そういうことであったか。

おそらく、母を攻撃した姑である祖母も広島から一人東京にでてきて、嫁ぎ先の中で馬鹿にされるものかと戦闘モードだったのだろう。

祖母から母へ。母からまたその下の世代へ。

自分も母親、妻、嫁と経験し、当時の彼女の立ち位置と年齢を考えると無理もないかと理解できる。

若い彼女の必死な姿と涙が浮かぶ。

若く闘っている母に会いに行き、肩の力を抜け、あなたは今のままで充分魅力的なんだよと、抱きしめてやりたくなってしまった。