登場人物

疲れて笑顔がでなくて、でも機嫌がわるいわけでもなくて。

いかんなぁ。テンション低いと家族との会話の相槌も最低限になって話が続かない。

「そうだね」

「うん、そうね」

ブツっとそこで切れてなんだか盛り上がらない。

笑顔でこっちを見ている相手は「あれ」っていう顔をしてしばらくこっちを見て待つ。

それがわかっているけど、省エネモードの私は遠い目をしてテレビ画面に顔を逸らす。

いかんなあ。

 

最近ちょとそれが気になっていた。

どこがというのではないが、筋肉がこわばって、眩暈がする。

疲れているのか、持病の癲癇か、心臓か。でもこれは一大事になるやつじゃない。

いつものあれだから。

気になっていたのは身体の様子ではなくて、笑顔をつくれていないこと。

なんか機嫌悪いなあ、うちのお母さん。そう重っ苦しくさせて申し訳ないと、そっち。

 

いってくるよと、玄関に立つ夫に能面のような顔でハグをして送り出した。

すまんのお。

そう思っているならその瞬間だけでも作り笑顔をすればいいのにしないのは、どこかで甘えているのかもしれない。

照れなのか、甘えなのか。

夫はいつも通りに出て行った。

いつも戻りだったが、なにか感じているのでは。もっと陽気に送り出せばよかった。

怠慢と甘えだな。

 

これまで自分の人生では自分が主役だと考えていた。

自分が主人公なんだから、誰かに気を遣っていじいじ生きることはない。

進みたい道を堂々と歩めばいい。だって私こそがこの人生の主役なんだもの。

そうやって励ました。

なにをやってもいい。誰に責められるなんてことない。

私はなにをしたい。

どう生きたい。

なにが好き。

なにをしていれば心が和む。

どうしていれば機嫌良くいられる。

でも。

それは私の人生での話であって、他の人の人生では私は脇役なのだ。

夫の人生においてだって、主要人物ではあるかもしれないが、それでも脇役だ。

息子にとっても母親という役で現れる人物。

家族においてですらそうなんだから、友達、ご近所、先生、ヤクルトさん、生協さん、宅配さん達から見れば、通行人くらいなものだろう。

強烈に嫌な思いをさせなければ、そこまで相手に与える印象に気をもむこともないのではないだろうか。

そう考えたら少し気が楽になる。

私は夫や息子が元気なさそうだと1日頭から離れなくなる。

気になってしかたがない。そわそわする。

でもそれは単に私が気にする質だからで、夫息子は違う。

仕事が始まれば私の機嫌なんぞ忘れているに違いない。

それでいいのだし、それが当たり前で自然なのだ。

乳幼児の母親役も終わった今、そこまでの影響力があると思うのは自惚だ。

なんたって脇役なんだから。

主役のお邪魔をしない程度に、そばで暮らしていればそれでいい。

私は私の舞台の中で。